• URLをコピーしました!

きりぎりす

著者:太宰治

きりぎりす - だざい おさむ

文字数:12,635 底本発行年:1974
著者リスト:
著者太宰 治
底本: きりぎりす
0
0
0


序章-章なし

おわかれいたします。 あなたは、うそばかりついていました。 私にも、いけない所が、あるのかも知れません。 けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。 私も、もう二十四です。 このとしになっては、どこがいけないと言われても、私には、もう直す事が出来ません。 いちど死んで、キリスト様のように復活でもしない事には、なおりません。 自分から死ぬという事は、一ばんの罪悪のような気も致しますから、私は、あなたと、おわかれして私の正しいと思う生きかたで、しばらく生きて努めてみたいと思います。 私には、あなたが、こわいのです。 きっと、この世では、あなたの生きかたのほうが正しいのかも知れません。 けれども、私には、それでは、とても生きて行けそうもありません。 私が、あなたのところへ参りましてから、もう五年になります。 十九の春に見合いをして、それからすぐに、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。 今だから申しますが、父も、母も、この結婚には、ひどく反対だったのでございます。 弟も、あれは、大学へはいったばかりのころでありましたが、姉さん、大丈夫かい? 等と、ませた事を言って、不機嫌ふきげんな様子を見せていました。 あなたが、いやがるだろうと思いましたから、きょうまで黙ってりましたが、あの頃、私には他に二つ、縁談がございました。 もう記憶も薄れている程なのですが、おひとりは、何でも、帝大の法科を出たばかりの、お坊ちゃんで外交官志望とやら聞きました。 お写真も拝見しました。 楽天家らしい晴やかな顔をしていました。 これは、池袋の大姉さんの御推薦でした。 もうひとりのお方は、父の会社に勤めて居られる、三十歳ちかくの技師でした。 五年も前の事ですから、記憶もはっきり致しませんが、なんでも、大きい家の総領で、人物も、しっかりしているとやら聞きました。 父のお気に入りらしく、父も母も、それは熱心に、支持していました。 お写真は、拝見しなかった、と思います。 こんな事はどうでもいいのですが、また、あなたに、ふふんと笑われますと、つらいので、記憶しているだけの事を、はっきり申し上げました。 いま、こんな事を申し上げるのは、決して、あなたへのいやがらせのつもりでも何でもございません。 それは、お信じ下さい。 私は、困ります。 他のいいところへお嫁に行けばよかった等と、そんな不貞な、ばかな事は、みじんも考えて居りませんのですから。 あなた以外の人は、私には考えられません。 いつもの調子で、お笑いになると、私は困ってしまいます。 私は本気で、申し上げているのです。 おしまいまでお聞き下さい。 あの頃も、いまも、私は、あなた以外の人と結婚する気は、少しもありません。 それは、はっきりしています。 私は子供の時から、愚図々々が何より、きらいでした。 あの頃、父に、母に、また池袋の大姉さんにも、いろいろ言われ、とにかく見合いだけでも等と、すすめられましたが、私にとっては、見合いもお祝言しゅうげんも同じものの様な気がしていましたから、かるがると返事は出来ませんでした。 そんなおかたと結婚する気は、まるっきり無かったのです。 みんなの言う様に、そんな、申しぶんの無いおかただったら、殊更ことさらに私でなくても、他にいお嫁さんが、いくらでも見つかる事でしょうし、なんだか張り合いの無いことだと思っていました。

序章-章なし
━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

きりぎりす - 情報

きりぎりす

きりぎりす

文字数 12,635文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 きりぎりす

青空情報


底本:「きりぎりす」新潮文庫、新潮社
   1974(昭和49)年9月30日発行
   1988(昭和63)年3月15日29刷改版
   2001(平成13)年5月5日53刷
初出:「新潮」
   1940(昭和15)年11月号
入力:土屋隆
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:きりぎりす

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!