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運命

著者:幸田露伴

うんめい - こうだ ろはん

文字数:67,110 底本発行年:1925
著者リスト:
著者幸田 露伴
親本: 幽秘記
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序章-章なし

世おのずからすうというもの有りや。 有りといえば有るがごとく、無しとせば無きにも似たり。 洪水こうずい天にはびこるも、の功これを治め、大旱たいかん地をこがせども、とうの徳これをすくえば、数有るが如くにして、しかも数無きが如し。 しんの始皇帝、天下を一にして尊号そんごうを称す。 ※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)いえんまことに当るからず。 しかれども水神ありて華陰かいんの夜に現われ、たまを使者に托して、今年祖龍そりゅう死せんとえば、はたして始皇やがて沙丘しゃきゅうに崩ぜり。 とう玄宗げんそう、開元は三十年の太平をけ、天宝てんぽうは十四年の華奢かしゃをほしいまゝにせり。 然れども開元の盛時に当りて、一行阿闍梨いちぎょうあじゃり、陛下万里に行幸して、聖祚せいそかぎりからんと奏したりしかば、心得がたきことをもうすよとおぼされしが、安禄山あんろくざんの乱起りて、天宝十五年しょくに入りたもうに及び、万里橋ばんりきょうにさしかゝりて瞿然くぜんとして悟りたまえりとなり。 此等これらを思えば、数無きに似たれども、而も数有るに似たり。 定命録ていめいろく続定命録ぞくていめいろく前定録ぜんていろく感定録かんていろく等、小説野乗やじょうの記するところを見れば、吉凶禍福は、皆定数ありて飲啄笑哭いんたくしょうこくも、ことごとく天意にるかと疑わる。 されど紛々たる雑書、何ぞ信ずるに足らん。 仮令たとえ数ありとするも、測り難きは数なり。 測り難きの数をおそれて、巫覡卜相ふげきぼくそうの徒の前にこうべせんよりは、知る可きの道に従いて、古聖前賢のおしえもとに心を安くせんにはかじ。 かつや人の常情、敗れたる者は天のめいを称してたんじ、成れる者は己の力を説きて誇る。 二者共にろうとすべし。 事敗れてこれが徳の足らざるに帰し、功成って之を数の定まる有るにゆだねなば、そのひと偽らずしてしん、其小ならずして偉なりというべし。 先哲いわく、知る者は言わず、言う者は知らずと。 数を言う者は数を知らずして、数を言わざる者あるいく数を知らん。

いにしえより今に至るまで、成敗せいばいの跡、禍福の運、人をしておもいひそめしめたんを発せしむるにるものもとより多し。 されども人の奇を好むや、なおもって足れりとせず。 ここおいて才子は才をせ、妄人もうじんもうほしいいままにして、空中に楼閣を築き、夢裏むりに悲喜をえがき、意設筆綴いせつひってつして、烏有うゆうの談をつくる。 或はすこしくもとづくところあり、或は全くるところ無し。 小説といい、稗史はいしといい、戯曲といい、寓言ぐうげんというものすなわこれなり。 作者の心おもえらく、奇を極め妙を極むと。 あにはからんや造物の脚色は、綺語きごの奇より奇にして、狂言の妙より妙に、才子の才も敵するあたわざるの巧緻こうちあり、妄人の妄も及ぶ可からざるの警抜あらんとは。 吾が言をば信ぜざる者は、こころみ建文けんぶん永楽えいらくの事を。

我が小説家のゆう曲亭主人馬琴きょくていしゅじんばきんす。 馬琴の作るところ、長篇四五種、八犬伝はっけんでんの雄大、弓張月ゆみはりづきの壮快、皆江湖こうこ嘖々さくさくとして称するところなるが、八犬伝弓張月に比してまさるあるも劣らざるものを侠客伝きょうかくでんす。 うらむらくは其の叙するところ、けだいまだ十の三四をおわるに及ばずして、筆硯ひっけん空しく曲亭の浄几じょうきのこりて、主人既にきて白玉楼はくぎょくろうとなり、鹿鳴草舎はぎのやおきなこれをげるも、また功を遂げずして死せるをもって、世の結構の輪奐りんかんの美をるに至らずしてみたり。 しかれども其の意を立て材を排する所以ゆえんを考うるに、楠氏なんし孤女こじょりて、南朝のために気を吐かんとする、おのずかられ一大文章たらずんばまざるものあるをば推知するに足るあり。 おしかな其の成らざるや。

侠客伝は女仙外史じょせんがいしより換骨脱胎かんこつだったいきたる。 其の一部は好逑伝こうきゅうでんるありといえども、全体の女仙外史をきたれるはおおからず。 これ姑摩媛こまひめすなわかれ月君げっくんなり。 月君が建文帝けんぶんていの為に兵を挙ぐるの事は、姑摩媛が南朝の為に力を致さんとするの藍本らんぽんたらずんばあらず。 れ馬琴が腔子裏こうしりの事なりといえども、かりに馬琴をして在らしむるも、が言を聴かば、含笑がんしょうして点頭てんとうせん。

女仙外史一百回は、しん逸田叟いつでんそう呂熊りょゆうあざな文兆ぶんちょうあらわすところ、康熙こうき四十年に意を起して、四十三年秋に至りて業をおわる。 の書のたいたるや、水滸伝すいこでん平妖伝へいようでん等に同じといえども、立言りつげんは、綱常こうじょう扶植ふしょくし、忠烈を顕揚するに在りというをもって、南安なんあんの郡守陳香泉ちんこうせんの序、江西こうせい廉使れんし劉在園りゅうざいえんの評、江西の学使楊念亭ようねんていの論、広州こうしゅうの太守葉南田しょうなんでんばつを得て世に行わる。 幻詭猥雑げんきわいざつの談に、干戈かんか弓馬の事をはさみ、慷慨こうがい節義のだんに、神仙縹緲しんせんひょうびょうしゅまじゆ。

序章-章なし
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運命 - 情報

運命

うんめい

文字数 67,110文字

著者リスト:
著者幸田 露伴

底本 日本の文学 3 五重塔・運命

親本 幽秘記

青空情報


底本:「日本の文学 3 五重塔・運命」ほるぷ出版
   1985(昭和60)年2月1日初版第1刷発行
底本の親本:「幽秘記」改造社
   1925(大正14)年6月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※疑問箇所の確認にあたっては、底本の親本と、「露伴全集 第六卷」岩波書店、1953(昭和28)年12月20日発行を参照しました。
※底本の「凡例」に「韻文の作品は、原表記・歴史的仮名づかいのままとした。ただし、振仮名は現代表記に改めた。」と記載されています。
※「懐来(かいらい)に在(あ)り 兵三万と」「天に震い 飛矢(ひし)雨の如し。」「城を撃たしむ 城壁破れんとす。」「前半は巵酒(ししゅ) 歓楽、」「武当(ぶとう) 大和山(たいかざん)に」の空白は、底本通りです。
入力:kompass
校正:しだひろし
2004年11月17日作成
2014年7月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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