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鼠頭魚釣り

著者:幸田露伴

きすづり - こうだ ろはん

文字数:9,955 底本発行年:1983
著者リスト:
著者幸田 露伴
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序章-章なし

鼠頭魚は即ちきすなり。 其頭の形いとよく鼠のあたまに肖たるを以て、支那にて鼠頭魚とは称ふるならん。 俗に鱚の字を以てきすと訓ず。 鱚の字は字典などにも見えず、其拠るところを知らず。 蓋し鮎鰯鰰等の字と同じく我が邦人の製にかゝるものにて、喜の字にきすのきの音あるに縁りて以て創め作りしなるべし。

鼠頭魚に二種あり。 青鼠頭魚といひ、白鼠頭魚といふ。 青鼠頭魚は白鼠頭魚より形大にして、其色蒼みを帯び、其性もやゝ強きが如し。 青鼠頭魚は川に産し、春の末海底の沙地に子を産む、と大槻氏の言海には見えたれど、如何にや、確に知らず。 海底の沙地に生まるゝものならば海に産するにはあらずや、将また川に産すとは川にて人に獲らるゝものなりとの事ならば、青鼠頭魚といふものの川にてはほと/\獲らるゝこと無きを如何にせん。 大槻氏の指すところのものは東京近くにて青鼠頭魚といふものと異るにやあらん、いぶかし。 凡そ東京近くにて青鼠頭魚といふものは、春の末夏の初頃より数十日の間、内海の底浅く沙平らかなる地にて漁るものの釣に上るものを指して称へ、また白鼠頭魚とは青鼠頭魚の漁期より一ト月も後れて釣れ初むるものをいふ。 青鼠頭魚に比ぶれば白鼠頭魚はすべて弱※(二の字点、1-2-22)しくして、喩へば彼は男の如く此は女の如しとも云ひつべし。

鼠頭魚釣りは、魚釣の遊びの中にても一ト風異かはりて興ある遊びなり。 且つ又鼠頭魚は、魚の中にても姿清らに見る眼厭はしからず、特に鱗にぬめり無く身に腥気なまぐさけ少ければ、仮令其味美ならずとも好ましかるべき魚なるに、まして其味さへ膩濃あぶらこきに過ぎずして而も淡きにも失せず、まことに食膳の佳品として待たるべきものなれば、これが釣りの興も一しほ深かるべき道理ことわりならずや。

今年五月の中の頃、鼠頭魚釣りの遊びをせんと思ひ立ちて、弟を柳橋のほとりの吾妻屋といふ船宿に遣り、来む二十一日の日曜には舟をむなしうして吾等を待てと堅く約束を結ばしめつ、ひたすらに其日の至るを心楽みにして、平常つねのおのれが為すべきわざを為しながら一日ひとひ※(二の字点、1-2-22)※(二の字点、1-2-22)と日を送りけり。

待つには長き日も立ちて、明日はいよ/\其日となりたる二十日の朝、聊か事ありて浅草まで行きたる帰るさ、不図心づきて明日の遊びの用の釣の具一揃へをはんと思ひしかば、二天門前に立寄りたり。 こは家に釣の具の備への無きにはあらねど、猶ほ良きものを新に買ひ調へて携へ行かんには必ず利多かるべしと思ひてなり。 書を能くするものは筆を撰まずとはやゝもすれば人の言ふところにして、下手の道具詮議とは、まことによく拙きありさまを罵り尽したることばにはあれど、曲りたる矢にては※(「栩のつくり/廾」、第3水準1-90-29)げいも射て中てんこと難かるべく、飛騨の大匠たくみ鰹節小刀かつぶしこがたなのみにては細工に困ずべし。 されば善く射るものは矢を爪遣つまやりすること多く、美しく細工するものは刀を礪ぐこと頻りなり。 如何ぞ書を能くするものの筆を撰まずといふことあらん、また如何ぞ下手のみ道具を詮議せん。 知る可し、筆を撰まずといふは、たゞ書を能くするものの自在を称したるの言にして、書を能くするもの必ずしも筆を択まずといふにもあらず、又下手の道具詮議といふは、固より道具詮議をなすもの即ち下手なりといふにもあらず、下手のみ道具詮議をなすといふにもあらで、拙き人の自己おのが道具の精粗利鈍を疑ふやうなるをりを指して云へる語なることを。 心の底浅くして鼻のさきのみ賢き人々、多くは右の二つの諺を引きて、其諺の理に協へるや協はざるやをも考へで、筆を択み道具を論ずるなど重※(二の字点、1-2-22)しげに事を做すものを嘲るは、世の常の習ひながら、忌※(二の字点、1-2-22)しき我が邦人のあしき癖なり。 卒然として事を做して赫然として功有らんことを欲するは、卑き男のしれたる望みならずや。 粗心浮気、筆をも択まず道具をも詮議せざるほどの事にて、能く何をか為し得ん。 筆択むべし、道具詮議すべし、魚を釣らんとせば先づ釣の具をくすべし。 まして魚を釣り小禽を狩るが如き遊び楽みの上にては、竿の調子、いとの性質、鉤の形などを論ずるも、実は遊びの中にして、弾丸たまと火薬との量の比例、火薬の性質、銃の重さの分配のさま、銃床の長さ、銃の式などを論ずるも、また実は楽みの中なるをや。 嘗て釣りの道に精く通ぜる人※(二の字点、1-2-22)の道具を論ずるを聞くに、甲も中田といひ、乙も中田といひ、丙もまた中田といひて、苟も道具を論ずるに当りては中田の名を云ひ出でざること無き程なれば、名の下果して虚しからずば中田といふもの必ず良き品を作り出すなるべし、おのれもまたをりを得てはんと、其家の在りなど予て問ひ尋ね置きたりしかば、直ちにそれかと覚しき店を見出して、此家こゝにこそあれとと入りぬ。

名の聞こえたる家のことなれば、店つきなども美しく売るところの品※(二の字点、1-2-22)数多く飾り立てられたるならんとは誰人も先づ想ふべけれど、打見たるところにては品物なども眼に入らぬほど少く、店と云はんよりは細工場と云ふべきさまなるも、深く蔵して無きが如くすといふ語さへ思ひ合はされてゆかし。 主人あるじに打向ひて、鼠頭魚釣りに用うべき竿を得たしと云へば、日をさへ仮し玉はば好み玉はんまゝ如何様にも作りまゐらすべけれど、今直ちに欲しとの仰せならば参らすべきはたゞ二本よりほか無し、其中にて好きかたを択み取りたまふべしと答ふ。 如何では竿の数乏しきやと問へば、主人の子なるべし年若くして清らなる男、随つて成れば随つて人の需め去るまゝ常に是の如し、御心に飽くほどのものを得玉はんとならば、極めてこまかに兎せよ角せよと命じたまへといふ。 良工の家なれば滞貨無きもむべなり、特に我が好めるやうに作らせんは甚だ可なるに似たれど、実は我が知れるところよりも此家ここの主人の知れる所の方深くして博かるべきは云ふまでも無きに、我は顔して浅はかなる好みを云ひ出でんも羞かし、且は日も逼りたれば是は寧ろ此家の主人が良しと思ひて作り置けるものを良しとしてはんかた、※(「(來+攵)/心」、第4水準2-12-72)なまじ賢立かしこだてして我が好みのまゝに作らせんよりは却て可かるべしと思ひしかば、いや、我猶釣の道に昧ければ我が好みを云ふべくもあらず、たゞ此家こゝの品の必ず佳かるべきを知りて来れるものなれば、一も二も無く此家の主人の君の言に従ひて、その良しとするものを良しとし其の良からずとするものを良からずとせん、二本ありとならば其の一本を択みて与へよ、価の高き低きは問ふところにあらずと云ひ出づれば、主人も聊か笑を含みて、らば此の方を召し玉へ、我が口よりは如何で誇らん、只眼あらん人は必ず此竿を知るべし、君もまた用ゐ玉ひて後、価の君を欺かざるを知り玉ふべしと云ひつゝ、一本の竿を我が手にわたす。 受け取りてつく/″\見るに、竿に具ふべきかど/\の中にても重きかどの一つなる節※(二の字点、1-2-22)の配りもいとよく斉ひて、本より末に至るに随ひ漸く其間しゞまり、竹の育ちすらりとして捩れも無く癖も無く、特に穂竿のかたからず弱からずしてしなやかに能く耐ふる力の八方に同じきなど、用ゐざるにはやかひもおもひ遣らるゝまでなり。 嬉しきはそれのみならず、竿の長さは鼠頭魚釣りに用うべき竿の大概おほよその定めの長さ一丈一尺だけ有りながら、其重さのもとより用ゐしものに比べてはいと軽きもまた好ましき一つなれば、我が心全く足りて之をひつ、ついでを以て我が知らぬ新しき事もやあらんと装置しかけをも一ト揃購ひぬ。

綸、天蚕糸てぐすなど異りたること無し。 鉤もまた昔ながらの狐形と袖形となり。 たゞ鉛錘おもり近来ちかごろの考に成りたる由にて、「にっける」の薄板をせたれば光り輝きて美し。 さては外国とつくにの人の誤つて銀の匙を水に落せし時魚の集り来りしを見て考へつきしといふ、光りあるものの付きたる鉤と同じく、これも光りに寄る魚の性に基づきたるなるべしなんど思ひつゝ、家に帰る路すがら、雲立ちたる空を仰ぎて、今はたゞ明日の雨ふらざらんことをのみ祈りける。

其日昼過ぐる頃、弟は学校より帰り来りて、おのれが釣竿、装置しかけなど検めゐしが、見おぼえぬ竿のあるを見出して、は兄上の新にひ給ひしにやと問ふ。

序章-章なし
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鼠頭魚釣り - 情報

鼠頭魚釣り

きすづり

文字数 9,955文字

著者リスト:
著者幸田 露伴

底本 日本の名随筆32 魚

親本 露伴随筆 第一冊

青空情報


底本:「日本の名随筆32 魚」作品社
   1985(昭和60)年6月25日初版発行
   1987(昭和62)年8月10日第2刷
底本の親本:「露伴随筆 第一冊」岩波書店
   1983(昭和58)年3月初版発行
入力:とみ〜ばあ
校正:今井忠夫
2001年1月22日公開
2012年5月12日修正
青空文庫作成ファイル:
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