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仙人

著者:芥川龍之介

せんにん - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:3,196 底本発行年:1971
著者リスト:
著者芥川 竜之介
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序章-章なし

皆さん。

わたしは今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。

昔、大阪の町へ奉公ほうこうに来た男がありました。 名は何と云ったかわかりません。 ただ飯炊奉公めしたきぼうこうに来た男ですから、権助ごんすけとだけ伝わっています。

権助は口入くちい暖簾のれんをくぐると、煙管きせるくわえていた番頭に、こう口の世話を頼みました。

「番頭さん。 私は仙人せんにんになりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」

番頭は呆気あっけにとられたように、しばらくは口もかずにいました。

「番頭さん。 聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」

「まことに御気の毒様ですが、――」

番頭はやっといつもの通り、煙草たばこをすぱすぱ吸い始めました。

「手前の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けた事はありませんから、どうかほかへ御出おいでなすって下さい。」

すると権助ごんすけ不服ふふくそうに、千草ちくさ股引ももひきの膝をすすめながら、こんな理窟りくつを云い出しました。

「それはちと話が違うでしょう。 御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入よろずくちいどころと書いてあるじゃありませんか? 万と云うからは何事でも、口入れをするのがほんとうです。 それともお前さんの店では暖簾の上に、うそを書いて置いたつもりなのですか?」

なるほどこう云われて見ると、権助が怒るのももっともです。

「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。 何でも仙人になれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日あしたまた御出で下さい。 今日きょう中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」

番頭はとにかく一時のがれに、権助の頼みを引き受けてやりました。 が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。 ですから一まず権助を返すと、早速さっそく番頭は近所にある医者の所へ出かけて行きました。 そうして権助の事を話してから、

「いかがでしょう? 先生。 仙人になる修業をするには、どこへ奉公するのが近路ちかみちでしょう?」と、心配そうに尋ねました。

これには医者も困ったのでしょう。 しばらくはぼんやり腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。 が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐ふるぎつねと云う渾名あだなのある、狡猾こうかつな医者の女房です。

「それはうちへおよこしよ。 うちにいれば二三年うちには、きっと仙人にして見せるから。」

左様さようですか? それは善い事を伺いました。 では何分願います。 どうも仙人と御医者様とは、どこか縁が近いような心もちが致して居りましたよ。」

何も知らない番頭は、しきりに御時宜おじぎを重ねながら、大喜びで帰りました。

医者は苦い顔をしたまま、そのあとを見送っていましたが、やがて女房に向いながら、

「お前は何と云う莫迦ばかな事を云うのだ? もしその田舎者いなかものが何年いても、一向いっこう仙術を教えてくれぬなぞと、不平でも云い出したら、どうする気だ?」と忌々いまいましそうに小言こごとを云いました。

序章-章なし
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仙人 - 情報

仙人

せんにん

文字数 3,196文字

著者リスト:

底本 芥川龍之介全集5

親本 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集

青空情報


底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月5日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:仙人

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