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竜潭譚

著者:泉鏡花

りゅうたんだん - いずみ きょうか

文字数:14,706 底本発行年:1941
著者リスト:
著者:泉 鏡花
底本: 鏡花短篇集
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序章-章なし

躑躅(つつじ)か丘(おか)

日は午(ご)なり。 あらら木(ぎ)のたらたら坂に樹(き)の蔭もなし。 寺の門(もん)、植木屋の庭、花屋の店など、坂下を挟(さしはさ)みて町の入口にはあたれど、のぼるに従ひて、ただ畑(はた)ばかりとなれり。 番小屋めきたるもの小だかき処(ところ)に見ゆ。 谷には菜(な)の花(はな)残りたり。 路(みち)の右左、躑躅(つつじ)の花の紅(くれない)なるが、見渡す方(かた)、見返る方(かた)、いまを盛(さかり)なりき。 ありくにつれて汗(あせ)少しいでぬ。

空よく晴れて一点の雲もなく、風あたたかに野面(のづら)を吹けり。

一人にては行(ゆ)くことなかれと、優(やさ)しき姉上のいひたりしを、肯(き)かで、しのびて来つ。 おもしろきながめかな。 山の上の方(かた)より一束(ひとたば)の薪(たきぎ)をかつぎたる漢(おのこ)おり来(きた)れり。 眉(まゆ)太く、眼(め)の細きが、向(むこう)ざまに顱巻(はちまき)したる、額(ひたい)のあたり汗になりて、のしのしと近づきつつ、細き道をかたよけてわれを通せしが、ふりかへり、

「危ないぞ危ないぞ。」

といひずてに眦(まなじり)に皺(しわ)を寄せてさつさつと行過(ゆきす)ぎぬ。

見返ればハヤたらたらさがりに、その肩(かた)躑躅(つつじ)の花にかくれて、髪(かみ)結(ゆ)ひたる天窓(あたま)のみ、やがて山蔭(やまかげ)に見えずなりぬ。 草がくれの径(こみち)遠く、小川流るる谷間(たにあい)の畦道(あぜみち)を、菅笠(すげがさ)冠(かむ)りたる婦人(おんな)の、跣足(はだし)にて鋤(すき)をば肩にし、小さき女(むすめ)の児(こ)の手をひきて彼方(あなた)にゆく背姿(うしろすがた)ありしが、それも杉の樹立(こだち)に入りたり。

行(ゆ)く方(かた)も躑躅なり。 来(こ)し方(かた)も躑躅なり。 山土(やまつち)のいろもあかく見えたる。 あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる一株(ひとかぶ)の躑躅のなかより、羽音(はおと)たかく、虫のつと立ちて頬を掠(かす)めしが、かなたに飛びて、およそ五、六尺隔(へだ)てたる処(ところ)に礫(つぶて)のありたるそのわきにとどまりぬ。 羽をふるふさまも見えたり。 手をあげて走りかかれば、ぱつとまた立ちあがりて、おなじ距離五、六尺ばかりのところにとまりたり。 そのまま小石を拾ひあげて狙(ねら)ひうちし、石はそれぬ。 虫はくるりと一ツまはりて、また旧(もと)のやうにぞをる。 追ひかくれば迅(はや)くもまた遁(に)げぬ。 遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあはひを置きてはキラキラとささやかなる羽(は)ばたきして、鷹揚(おうよう)にその二(ふた)すぢの細き髯(ひげ)を上下(うえした)にわづくりておし動かすぞいと憎(にく)さげなりける。

われは足踏(あしぶみ)して心(こころ)いらてり。 そのゐたるあとを踏みにじりて、

「畜生、畜生。」

と呟(つぶや)きざま、躍(おど)りかかりてハタと打ちし、拳(こぶし)はいたづらに土によごれぬ。

渠(かれ)は一足(ひとあし)先なる方(かた)に悠々(ゆうゆう)と羽(は)づくろひす。 憎しと思ふ心を籠(こ)めて瞻(みまも)りたれば、虫は動かずなりたり。 つくづく見れば羽蟻(はあり)の形して、それよりもやや大(おおい)なる、身はただ五彩(ごさい)の色を帯びて青みがちにかがやきたる、うつくしさいはむ方(かた)なし。

色彩あり光沢(こうたく)ある虫は毒なりと、姉上の教へたるをふと思ひ出(い)でたれば、打置(うちお)きてすごすごと引返(ひつかえ)せしが、足許(あしもと)にさきの石の二(ふた)ツに砕(くだ)けて落ちたるより俄(にわか)に心動き、拾ひあげて取つて返し、きと毒虫をねらひたり。

このたびはあやまたず、したたかうつて殺しぬ。 嬉(うれ)しく走りつきて石をあはせ、ひたと打(うち)ひしぎて蹴飛(けと)ばしたる、石は躑躅(つつじ)のなかをくぐりて小砂利(こじやり)をさそひ、ばらばらと谷深くおちゆく音しき。

袂(たもと)のちり打(うち)はらひて空を仰(あお)げば、日脚(ひあし)やや斜(ななめ)になりぬ。 ほかほかとかほあつき日向(ひなた)に唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむず痒(がゆ)きこと限りなかりき。

序章-章なし
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竜潭譚 - 情報

竜潭譚

りゅうたんだん

文字数 14,706文字

著者リスト:
著者:泉 鏡花

底本 鏡花短篇集

親本 鏡花全集 第三卷

青空情報


底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第三卷」岩波書店
   1941(昭和16)年12月
初出:「文芸倶楽部」
   1896(明治29)年11月
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2000年8月30日公開
2005年12月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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