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桃太郎

著者:芥川龍之介

ももたろう - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:4,390 底本発行年:1971
著者リスト:
著者芥川 竜之介
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むかし、むかし、大むかし、ある深い山の奥に大きいももの木が一本あった。 大きいとだけではいい足りないかも知れない。 この桃の枝は雲の上にひろがり、この桃の根は大地だいちの底の黄泉よみの国にさえ及んでいた。 何でも天地開闢かいびゃくころおい、伊弉諾いざなぎみこと黄最津平阪よもつひらさかやっつのいかずちしりぞけるため、桃のつぶてに打ったという、――その神代かみよの桃の実はこの木の枝になっていたのである。

この木は世界の夜明以来、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。 花は真紅しんく衣蓋きぬがさ黄金おうごん流蘇ふさを垂らしたようである。 実は――実もまた大きいのはいうを待たない。 が、それよりも不思議なのはその実はさねのあるところに美しい赤児あかごを一人ずつ、おのずからはらんでいたことである。

むかし、むかし、大むかし、この木は山谷やまたにおおった枝に、累々るいるいと実をつづったまま、静かに日の光りに浴していた。 一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。 しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉やたがらすになり、さっとその枝へおろして来た。 と思うともう赤みのさした、小さい実を一つついばみ落した。 実は雲霧くもきりの立ちのぼる中にはるか下の谷川へ落ちた。 谷川は勿論もちろん峯々の間に白い水煙みずけぶりをなびかせながら、人間のいる国へ流れていたのである。

この赤児あかごはらんだ実は深い山の奥を離れたのち、どういう人の手に拾われたか?――それはいまさら話すまでもあるまい。 谷川の末にはおばあさんが一人、日本中にほんじゅうの子供の知っている通り、柴刈しばかりに行ったおじいさんの着物か何かを洗っていたのである。 ……

桃から生れた桃太郎ももたろうおにしま征伐せいばつを思い立った。 思い立ったわけはなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。 その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白わんぱくものに愛想あいそをつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさにはたとか太刀たちとか陣羽織じんばおりとか、出陣の支度したく入用にゅうようのものは云うなり次第に持たせることにした。 のみならず途中の兵糧ひょうろうには、これも桃太郎の註文ちゅうもん通り、黍団子きびだんごさえこしらえてやったのである。

桃太郎は意気揚々ようようと鬼が島征伐ののぼった。 すると大きい野良犬のらいぬが一匹、えた眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。

「桃太郎さん。 桃太郎さん。 お腰に下げたのは何でございます?」

「これは日本一にっぽんいちの黍団子だ。」

桃太郎は得意そうに返事をした。 勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にもあやしかったのである。 けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。

「一つ下さい。 ともしましょう。」

桃太郎は咄嗟とっさ算盤そろばんを取った。

「一つはやられぬ。 半分やろう。」

犬はしばらく強情ごうじょうに、「一つ下さい」を繰り返した。 しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回てっかいしない。 こうなればあらゆる商売のように、所詮しょせん持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。

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桃太郎 - 情報

桃太郎

ももたろう

文字数 4,390文字

著者リスト:

底本 芥川龍之介全集5

親本 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集

青空情報


底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
初出:「サンデー毎日 夏期特別号」
   1924(大正13)年7月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2012年9月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:桃太郎

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