蜘蛛の糸
著者:芥川龍之介
くものいと - あくたがわ りゅうのすけ
文字数:2,865 底本発行年:1971
一
ある日の事でございます。
やがて御釈迦様はその池のふちに
するとその地獄の底に、
陀多
陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。
と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな
陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。
その命を
御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この
陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。
そうしてそれだけの善い事をした
二
こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた
陀多
陀多も、やはり血の池の血に
ところがある時の事でございます。
陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の
陀多はこれを見ると、思わず手を
こう思いましたから
陀多
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら
陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。
そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。
それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。
この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。
陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。
しめた。」
と笑いました。