機械
著者:横光利一
きかい - よこみつ りいち
文字数:21,546 底本発行年:1931
初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。
観察しているとまだ三つにもならない彼の子供が彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって怒っている。
畳の上をよちよち歩いているその子供がばったり倒れるといきなり自分の細君を殴りつけながらお前が番をしていて子供を倒すということがあるかという。
見ているとまるで喜劇だが本人がそれで正気だから反対にこれは狂人ではないのかと思うのだ。
少し子供が泣きやむともう直ぐ子供を抱きかかえて部屋の中を馳け廻っている四十男。
この主人はそんなに子供のことばかりにかけてそうかというとそうではなく、凡そ何事にでもそれほどな無邪気さを持っているので自然に細君がこの家の中心になって来ているのだ。
家の中の運転が細君を中心にして来ると細君系の人々がそれだけのびのびとなって来るのももっともなことなのだ。
従ってどちらかというと主人の方に関係のある私はこの家の仕事のうちで一番人のいやがることばかりを引き受けねばならぬ結果になっていく。
いやな仕事、それは全くいやな仕事でしかもそのいやな部分を誰か一人がいつもしていなければ家全体の生活が廻らぬという中心的な部分に私がいるので実は家の中心が細君にはなく私にあるのだがそんなことをいったっていやな仕事をする奴は使い道のない奴だからこそだとばかり思っている人間の集りだから黙っているより仕方がないと思っていた。
全く使い道のない人間というものは誰にも出来かねる箇所だけに不思議に使い道のあるもので、このネームプレート製造所でもいろいろな薬品を使用せねばならぬ仕事の中で私の仕事だけは特に劇薬ばかりで満ちていて、わざわざ使い道のない人間を落し込む穴のように出来上っているのである。
この穴へ落ち込むと金属を腐蝕させる塩化鉄で衣類や皮膚がだんだん役に立たなくなり、臭素の刺戟で咽喉を破壊し夜の睡眠がとれなくなるばかりではなく頭脳の組織が変化して来て視力さえも薄れて来る。
こんな危険な穴の中へは有用な人間が落ち込む筈がないのであるが、この家の主人も若いときに人の出来ないこの仕事を覚え込んだのも恐らく私のように使い道のない人間だったからにちがいないのだ。
しかし、私とてもいつまでもここで片輪になるために愚図ついていたのでは勿論ない。
実は私は九州の造船所から出て来たのだがふと途中の汽車の中で一人の婦人に逢ったのがこの生活の初めなのだ。
婦人はもう五十歳あまりになっていて主人に死なれ家もなければ子供もないので東京の親戚の所で暫く厄介になってから下宿屋でも初めるのだという。
それなら私も職でも見つかればあなたの下宿へ厄介になりたいと冗談のつもりでいうと、それでは自分のこれから行く親戚へ自分といってそこの仕事を手伝わないかとすすめてくれた。
私もまだどこへ勤めるあてとてもないときだしひとつはその婦人の上品な言葉や姿を信用する気になってそのままふらりと婦人と一緒にここの仕事場へ流れ込んで来たのである。
すると、ここの仕事は初めは見た目は楽だがだんだん薬品が労働力を根柢から奪っていくということに気がついた。
それで明日は出よう今日は出ようと思っているうちにふと今迄辛抱したからにはそれではひとつここの仕事の急所を全部覚え込んでからにしようという気にもなって来て自分で危険な仕事の部分に近づくことに興味を持とうとつとめ出した。
ところが私と一緒に働いているここの職人の軽部は私がこの家の仕事の秘密を盗みに
或る日私は仕事場で仕事をしていると主婦が来て主人が地金を買いにいくのだから私も一緒について行って主人の金銭を絶えず私が持っていてくれるようにという。 それは主人は金銭を持つと殆ど必ず途中で落してしまうので主婦の気使いは主人に金銭を渡さぬことが第一であったのだ。 いままでのこの家の悲劇の大部分も実にこの馬鹿げたことばかりなんだがそれにしてもどうしてこんなにここの主人は金銭を落すのか誰にも分らない。 落してしまったものはいくら叱ったって嚇したって返って来るものでもなし、それだからって汗水たらして皆が働いたものを一人の神経の弛みのために尽く水の泡にされてしまってそのまま泣き寝入に黙っているわけにもいかず、それが一度や二度ならともかく始終持ったら落すということの方が確実だというのだからこの家の活動も自然に鍛錬のされ方が普通の家とはどこか違って生長して来ているにちがいないのだ。 いったい私達は金銭を持ったら落すという四十男をそんなに想像することは出来ない。 譬えば財布を細君が紐でしっかり首から懐へ吊しておいてもそれでも中の金銭だけはちゃんといつも落してあるというのであるが、それなら主人は金を財布から出すときか入れるときかに落すにちがいないとしてみてもそれにしても第一そう度々落す以上は今度は落すかもしれぬからと三度に一度は出すときや入れるときに気附く筈だ。 それを気附けば事実はそんなにも落さないのではないかと思われて考えようによってはこれは或いは金銭の支払いを延ばすための細君の手ではないかとも一度は思うが、しかし間もなくあまりにも変っている主人の挙動のために細君の宣伝もいつの間にか事実だと思ってしまわねばならぬほど、とにかく、主人は変っている。 金を金とも思わぬという言葉は富者に対する形容だがここの主人の貧しさは五銭の白銅を握って銭湯の暖簾をくぐる程度に拘らず、困っているものには自分の家の地金を買う金銭まで遣ってしまって忘れている。
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機械 - 情報
青空情報
底本:「定本 横光利一全集 第三卷」河出書房新社
1981(昭和56)年9月30日初版発行
底本の親本:「機械」白水社
1931(昭和6)年4月10日
初出:「改造 第十二卷第九號」
1930(昭和5)年9月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、次の書き換えを行いました。
「云う→いう 此の→この 然も→しかも 了う→しまう 此処→ここ 尤も→もっとも 又→また 是→これ」
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付しました。
※「人人」など漢字の繰り返しは、漢字繰り返し記号を用いて「人々」などと書き換えました。
入力:佐藤和人
校正:かとうかおり
1998年8月13日公開
2014年8月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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