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モルグ街の殺人事件

原題:The Murders in the Rue Morgue

著者:エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe

モルグがいのさつじんじけん

文字数:35,494 底本発行年:1931
著者リスト:
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序章-章なし

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サイレーンがどんな歌を歌ったか、またアキリースが女たちの間に身を隠したときどんな名を名のったかは、難問ではあるが、みなみな推量しかねることではない。

トマス・ブラウン卿(1)

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分析的なものとして論じられている精神の諸作用は、実は、ほとんど分析を許さぬものなのである。 ただ結果から見て、それらを感知するにすぎない。 そのなかでもわかっていることは、精神の諸作用を過分に身につけている人にとっては、これこそなによりも生き生きとした楽しみの源泉である、ということだ。 ちょうど、強健な人が筋肉を働かせる運動を喜んで自分の肉体的能力を誇るのと同じように、分析家はものごとを解き明かす知的活動に熱中する。 彼は、この才能を発揮できることなら、どんなつまらない仕事でも楽しんでやるのだ。 彼は、なぞや、難問や、象形文字が好きで、凡人の理解力では超自然とも見えるほどの明敏さで、それらを解き明かす。 しかも、彼がありとあらゆる方法を尽して得た結論は、実のところ、まるで直観にしか見えないのだ。

分析の能力は数学の研究によって、おそらく大いに活躍させられるだろう。 ことに、その最高の部門であって、ただ逆行的なやり方をするというだけで、不当にも、とくに解析学と呼ばれているものによってだ。 しかし、計算することはもともと分析することではない。 たとえば、将棋チェスをさす人は、計算はするが、分析しようとはしない。 だから、チェス遊びが心的性質に与える効果などは、ひどい誤解だということになる。 私はいま、なにも論文を書いているのではない。 ただ、たいへん勝手なことを述べて、いささか風変りな物語の序文にしようとしているだけである。 ここでついでに、手が込んでいるわりにつまらないチェスなどよりは、地味なドラフツのほうが、もっと確実にもっと有効に、思索的知性の高い力を働かせるものだと、断言しよう。 チェスは、駒がいろいろと奇妙な動き方をするし、その価値もさまざまで、しかも変るものだから、ただ単に複雑だというだけで(よくある誤謬ごびゅうだが)、なにか深奥なもののように誤られる。 この場合、注意力こそ強く要求されるのだ。 ちょっとでも注意がゆるむと、しくじって、大損するか負けになる。 しかも駒の動きがまちまちで入り組んでいるために、しくじりのチャンスはますます大きくなる。 そして、十中の九までは鋭敏な人よりも、集中力の強い人のほうが勝つ。 その反対にドラフツでは、動きが一様ユニークで変化が少なく、しくじる率も少ないし、わりあいに注意力も働かされずにすむので、利益はすべて、どちらかの優れて明敏なほうが得ることになる。 もっと具体的に言えば――ドラフツのゲームで、駒が盤面にキング四つだけとなった場合を想像してみよう。 もうこうなれば、無論しくじりの起るはずはない。 するとこの場合の勝負は(両方の競技者がまったく互角として)、知力を強く働かせた結果としての、念入りルシェルシェな駒の動かし方だけで決ることは明らかである。 普通の手がみな尽きてしまうと、分析家は相手の心のなかに自身を投げこみ、すっかり相手の心になりきって、相手を誘ってしくじらせたり、せきたてて誤算させたりする唯一の方法(ときには実にばかばかしいほど簡単な手なのだが)を、一目で発見することがよくある。

ホイスト(2)は、いわゆる計算力を養うものとして早くから知られていて、最高級の知力を持つ人々はチェスをつまらないものとけなして、ちょっと不思議なほどホイストに凝ったものだ。 たしかに、この種のものではホイストほど分析能力を働かせるものはほかにない。 キリスト教国中で一番のチェスの名人だといっても、つまりはただチェスの名人だというにすぎない。 ところがホイストの上手じょうずということになると、心と心とがたたかうすべての、もっと重大な事業にも成功できるということを意味する。 この上手というのは、正当な利益をもたらすすべてつぼを、それぞれちゃんと知り抜いているといった、わざの完全な精通を意味するのである。 これらのつぼは多種多様で、しかも多くの場合、普通の理解力ではぜんぜん近づきがたい思考の奥深くに隠れているのだ。 注意深く観察するということは明瞭に記憶することであって、そこまでなら集中力の優れたチェスの棋客もホイストを十分うまくやるだろうし、またホイル(3)の法則だって(それがゲームの単なるメカニズムに基づいたものである以上)誰にでも十分に理解できるものなのだ。 だから、よい記憶で、「方式」どおりにやるということが、うまく勝負をする秘訣ひけつだと一般に考えられている点である。 ところが、分析家の腕の見せどころは、単なる法則の限界を越えたところにあるのだ。 彼は黙っていながら多くの観察や推理をする。

序章-章なし
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モルグ街の殺人事件 - 情報

モルグ街の殺人事件

モルグがいのさつじんじけん

文字数 35,494文字

著者リスト:

底本 モルグ街の殺人事件

親本 エドガア・アラン・ポオ小説全集

青空情報


底本:「モルグ街の殺人事件」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年8月15日発行
   1977(昭和52)年5月10日40刷改版
   1997(平成9)年12月25日77刷
底本の親本:「エドガア・アラン・ポオ小説全集」第一書房
   1931(昭和6)年〜1933(昭和8)年
初出:「グレアム雑誌」
   1841年4月号
入力:大野晋
校正:j.utiyama
1999年7月6日公開
2015年2月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:モルグ街の殺人事件

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