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地獄変

著者:芥川龍之介

じごくへん - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:26,204 底本発行年:1918
著者リスト:
著者:芥川 竜之介
親本: 鼻
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一

堀川の大殿様(おほとのさま)のやうな方は、これまでは固(もと)より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。 噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王(だいゐとくみやうおう)の御姿が御母君(おんはゝぎみ)の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎(と)に角(かく)御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。 でございますから、あの方の為(な)さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。 早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底(たうてい)私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。 中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝(しくわうてい)や煬帝(やうだい)に比べるものもございますが、それは諺(ことわざ)に云ふ群盲(ぐんもう)の象を撫(な)でるやうなものでもございませうか。 あの方の御思召(おおぼしめし)は、決してそのやうに御自分ばかり、栄耀栄華をなさらうと申すのではございません。 それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽しむとでも申しさうな、大腹中(だいふくちう)の御器量がございました。

それでございますから、二条大宮の百鬼夜行(ひやつきやぎやう)に御遇ひになつても、格別御障(おさは)りがなかつたのでございませう。 又陸奥(みちのく)の塩竈(しほがま)の景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつた融(とほる)の左大臣の霊でさへ、大殿様のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。 かやうな御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿様と申しますと、まるで権者(ごんじや)の再来のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。 何時ぞや、内の梅花の宴からの御帰りに御車の牛が放れて、折から通りかゝつた老人に怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿様の牛にかけられた事を難有がつたと申す事でございます。

さやうな次第でございますから、大殿様御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、随分沢山にございました。 大饗(おほみうけ)の引出物に白馬(あをうま)ばかりを三十頭、賜(たまは)つたこともございますし、長良(ながら)の橋の橋柱(はしばしら)に御寵愛の童(わらべ)を立てた事もございますし、それから又華陀(くわだ)の術を伝へた震旦(しんたん)の僧に、御腿(おんもゝ)の瘡(もがさ)を御切らせになつた事もございますし、――一々数へ立てゝ居りましては、とても際限がございません。 が、その数多い御逸事の中でも、今では御家の重宝になつて居ります地獄変の屏風の由来程、恐ろしい話はございますまい。 日頃は物に御騒ぎにならない大殿様でさへ、あの時ばかりは、流石(さすが)に御驚きになつたやうでございました。 まして御側に仕へてゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。 中でもこの私なぞは、大殿様にも二十年来御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄じい見物(みもの)に出遇つた事は、ついぞ又となかつた位でございます。

しかし、その御話を致しますには、予め先づ、あの地獄変の屏風を描きました、良秀(よしひで)と申す画師の事を申し上げて置く必要がございませう。

二

良秀と申しましたら、或は唯今でも猶、あの男の事を覚えていらつしやる方がございませう。 その頃絵筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な絵師でございます。 あの時の事がございました時には、彼是もう五十の阪(さか)に、手がとゞいて居りましたらうか。 見た所は唯、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪さうな老人でございました。 それが大殿様の御邸へ参ります時には、よく丁字染(ちやうじぞめ)の狩衣(かりぎぬ)に揉烏帽子(もみゑぼし)をかけて居りましたが、人がらは至つて卑しい方で、何故か年よりらしくもなく、唇の目立つて赤いのが、その上に又気味の悪い、如何にも獣めいた心もちを起させたものでございます。 中にはあれは画筆を舐(な)めるので紅がつくのだなどゝ申した人も居りましたが、どう云ふものでございませうか。 尤もそれより口の悪い誰彼は、良秀の立居(たちゐ)振舞(ふるまひ)が猿のやうだとか申しまして、猿秀と云ふ諢名(あだな)までつけた事がございました。

いや猿秀と申せば、かやうな御話もございます。 その頃大殿様の御邸には、十五になる良秀の一人娘が、小女房(こねうばう)に上つて居りましたが、これは又生みの親には似もつかない、愛嬌のある娘(こ)でございました。 その上早く女親に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりはませた、悧巧な生れつきで、年の若いのにも似ず、何かとよく気がつくものでございますから、御台様(みだいさま)を始め外の女房たちにも、可愛がられて居たやうでございます。

すると何かの折に、丹波の国から人馴れた猿を一匹、献上したものがございまして、それに丁度悪戯盛(いたづらさか)りの若殿様が、良秀と云ふ名を御つけになりました。 唯でさへその猿の容子が可笑(をか)しい所へ、かやうな名がついたのでございますから、御邸中誰一人笑はないものはございません。 それも笑ふばかりならよろしうございますが、面白半分に皆のものが、やれ御庭の松に上つたの、やれ曹司(ざうし)の畳をよごしたのと、その度毎に、良秀々々と呼び立てゝは、兎に角いぢめたがるのでございます。

所が或日の事、前に申しました良秀の娘が、御文を結んだ寒紅梅の枝を持つて、長い御廊下を通りかゝりますと、遠くの遣戸(やりど)の向うから、例の小猿の良秀が、大方足でも挫(くじ)いたのでございませう、何時ものやうに柱へ駆け上る元気もなく、跛(びつこ)を引き/\、一散に、逃げて参るのでございます。 しかもその後からは楚(すばえ)をふり上げた若殿様が「柑子(かうじ)盗人(ぬすびと)め、待て。 待て。」 と仰有(おつしや)りながら、追ひかけていらつしやるのではございませんか。 良秀の娘はこれを見ますと、ちよいとの間ためらつたやうでございますが、丁度その時逃げて来た猿が、袴の裾にすがりながら、哀れな声を出して啼き立てました――と、急に可哀さうだと思ふ心が、抑へ切れなくなつたのでございませう。 片手に梅の枝をかざした儘、片手に紫匂(むらさきにほひ)の袿(うちぎ)の袖を軽さうにはらりと開きますと、やさしくその猿を抱き上げて、若殿様の御前に小腰をかゞめながら「恐れながら畜生でございます。 どうか御勘弁遊ばしまし。」

一

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地獄変 - 情報

地獄変

じごくへん

文字数 26,204文字

著者リスト:

底本 芥川龍之介全集 第一巻

親本 鼻

青空情報


底本:「芥川龍之介全集 第一巻」岩波書店
   1995(平成7)年11月8日発行
底本の親本:「鼻」春陽堂
   1918(大正7)年7月8日発行
※底本には「堀川」と「堀河」が共に現れる。「堀河」は「堀川」と思われるが、表記の揺れは底本のママとした。
入力:earthian
校正:j.utiyama
1998年12月2日公開
2010年11月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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