序章-章なし
他界へのハガキ
芥川君
君の立派な書物が出來上る。
君はこの本の出るのを樂しみにしてゐたといふではないか。
君はなぜ、せめては、この本の出るまで待つてはゐなかつたのだ。
さうして又なぜ、ここへ君自身のペンで序文を書かなかつたのだ。
君が自分で書かないばかりに、僕にこんな氣の利かないことを書かれて了ふぢやないか。
だが、僕だつて困るのだよ。
君の遺族や小穴君などがそれを求めるけれど、君の本を飾れるやうなことが僕に書けるものか。
でも僕はこの本のためにたつた一つだけは手柄をしたよ。
それはね、これの校了の校正刷を讀んでゐて誤植を一つ發見して直して置いた事だ。
尤もその手柄と、こんなことを卷頭に書いて君の美しい本をきたなくする罪とでは、差引にならないかも知れない。
口惜しかつたら出て來て不足を云ひたまへ。
それともこの文章を僕は今夜枕もとへ置いて置くから、これで惡かつたら、どう書いたがいいか、來て一つそれを僕に教へてくれたまへ。
リヤム・ブレイクの兄弟が
リヤムに對してしたやうに。
君はもう我々には用はないかも知れないけれど、僕は一ぺん君に逢ひたいと思つてゐる。
逢つて話したい。
でも、僕の方からはさう手輕るには――君がやつたやうに思ひ切つては君のところへ出かけられない。
だから君から一度來てもらひ度いと思ふ――夢にでも現にでも。
君の嫌だつた犬は寢室には入れないで置くから。
犬と言へば君は、犬好きの坊ちやんの名前に僕の名を使つたね。
それを君が書きながら一瞬間、君が僕のことを思つてくれた記録があるやうで、僕にはそれがへんにうれしい。
ハガキだからけふはこれだけ。
そのうち君に宛ててもつと長く書かうよ。
下界では昭和二年十月十日の夜佐藤春夫