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陰翳礼讃

著者:谷崎潤一郎

いんえいらいさん - たにざき じゅんいちろう

文字数:30,829 底本発行年:1975
著者リスト:
著者谷崎 潤一郎
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序章-章なし

今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、電気や瓦斯ガスや水道等の取附け方に苦心を払い、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろう。 独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、いやしくも相当の家族を擁して都会に住居する以上、いくら日本風にするからと云って、近代生活に必要な煖房や照明や衛生の設備を斥ける訳には行かない。 で、凝り性の人は電話一つ取り附けるにも頭を悩まして、梯子段の裏とか、廊下の隅とか、出来るだけ目障りにならない場所に持って行く。 その他庭の電線は地下線にし、部屋のスイッチは押入れや地袋の中に隠し、コードは屏風びょうぶの蔭を這わす等、いろ/\考えた揚句、中には神経質に作為をし過ぎて、却ってうるさく感ぜられるような場合もある。 実際電燈などはもうわれ/\の眼の方が馴れッこになってしまっているから、なまじなことをするよりは、あの在来の乳白ガラスの浅いシェードを附けて、球をムキ出しに見せて置く方が、自然で、素朴な気持もする。 夕方、汽車の窓などから田舎の景色を眺めている時、茅葺きの百姓家の障子の蔭に、今では時代おくれのしたあの浅いシェードを附けた電球がぽつんと燈っているのを見ると、風流にさえ思えるのである。 しかし煽風器などと云うものになると、あの音響と云い形態と云い、未だに日本座敷とは調和しにくい。 それも普通の家庭なら、イヤなら使わないでも済むが、夏向き、客商売の家などでは、主人の趣味にばかり媚びる訳に行かない。 私の友人の偕楽園主人は随分普請に凝る方であるが、煽風器を嫌って久しい間客間に取り附けずにいたところ、毎年夏になると客から苦情が出るために、結局我を折って使うようになってしまった。 かく云う私なぞも、先年身分不相応な大金を投じて家を建てた時、それに似たような経験を持っているが、細かい建具や器具の末まで気にし出したら、種々な困難に行きあたる。 たとえば障子一枚にしても、趣味から云えばガラスを篏めたくないけれども、そうかと云って、徹底的に紙ばかりを使おうとすれば、採光や戸締まり等の点で差支えが起る。 よんどころなく内側を紙貼りにして、外側をガラス張りにする。 そうするためには表と裏と桟を二重にする必要があり、従って費用もかさむのであるが、さてそんなにまでしてみても、外から見ればたゞのガラス戸であり、内から見れば紙のうしろにガラスがあるので、やはり本当の紙障子のようなふっくらした柔かみがなく、イヤ味なものになりがちである。 そのくらいならたゞのガラス戸にした方がよかったと、やっとその時に後悔するが、他人の場合は笑えても、自分の場合は、そこまでやってみないことには中々あきらめが付きにくい。 近来電燈の器具などは、行燈式のもの、提燈式のもの、八方式のもの、燭台式のもの等、日本座敷に調和するものがいろ/\売り出されているが、私はそれでも気に入らないで、昔の石油ランプや有明行燈や枕行燈を古道具屋から捜して来て、それへ電球を取り附けたりした。 分けても苦心したのは煖房の設計であった。 と云うのは、およそストーヴと名のつくもので日本座敷に調和するような形態のものは一つもない。 その上瓦斯ガスストーヴはぼう/\燃える音がするし、また煙突でも付けないことにはじきに頭痛がして来るし、そう云う点では理想的だと云われる電気ストーヴにしても、形態の面白くないことは同様である。 電車で使っているようなヒーターを地袋の中へ取り附けるのは一策だけれども、やはり赤い火が見えないと、冬らしい気分にならないし、家族の団欒にも不便である。 私はいろ/\智慧を絞って、百姓家にあるような大きな炉を造り、中へ電気炭を仕込んでみたが、これは湯を沸かすにも部屋を温めるにも都合がよく、費用が嵩むと云う点を除けば、様式としてはまず成功の部類であった。 で、煖房の方はそれでどうやら巧く行くけれども、次に困るのは、浴室とかわやである。 偕楽園主人は浴槽や流しにタイルを張ることを嫌がって、お客用の風呂場を純然たる木造にしているが、経済や実用の点からは、タイルの方が万々優っていることは云うまでもない。 たゞ、天井、柱、羽目板等に結構な日本材を使った場合、一部分をあのケバケバしいタイルにしては、いかにも全体との映りが悪い。 出来たてのうちはまだいゝが、追い/\年数が経って、板や柱に木目もくめの味が出て来た時分、タイルばかりが白くつる/\に光っていられたら、それこそ木に竹を接いだようである。 でも浴室は、趣味のために実用の方を幾分犠牲に供しても済むけれども、厠になると、一層厄介な問題が起るのである。

私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つく/″\日本建築の有難みを感じる。 茶の間もいゝにはいゝけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。 それらは必ず母屋おもやから離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。 漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。 そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊のうなりさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。 私はそう云う厠にあって、しと/\と降る雨の音を聴くのを好む。 殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたゝり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつゝ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。 まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おり/\の物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう。 されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。 総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。 これを西洋人が頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方が遙かに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。 強いて缺点を云うならば、母屋から離れているために、夜中に通うには便利が悪く、冬は殊に風邪を引く憂いがあることだけれども、「風流は寒きものなり」と云う斎藤緑雨の言の如く、あゝ云う場所は外気と同じ冷たさの方が気持がよい。

序章-章なし
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陰翳礼讃 - 情報

陰翳礼讃

いんえいらいさん

文字数 30,829文字

著者リスト:

底本 陰翳礼讃 改版

親本 谷崎潤一郎全集 第二十巻

青空情報


底本:「陰翳礼讃 改版」中公文庫、中央公論新社
   1975(昭和50)年10月10日初版発行
   1995(平成7)年9月18日改版発行
   2013(平成25)年1月10日改版24刷発行
底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第二十巻」中央公論社
   1982(昭和57)年12月25日
初出:「経済往来」
   1933(昭和8)年12月号、1934(昭和9)年1月号
※底本は新字新仮名づかいです。なお旧字の混在は、底本通りです。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2016年6月10日作成
2019年2月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:陰翳礼讃

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