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銀の匙

著者:中勘助

ぎんのさじ - なか かんすけ

文字数:93,364 底本発行年:1960
著者リスト:
著者中 勘助
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前篇

私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣ひきだしに昔からひとつの小箱がしまつてある。 それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。 なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。 なかには子安貝や、椿の実や、小さいときのもてあそびであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。 それはさしわたし五分ぐらゐの皿形の頭にわづかにそりをうつた短い柄がついてるので、あつにできてるために柄の端を指でもつてみるとちよいと重いといふ感じがする。 私はをりをり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りを拭つてあかず眺めてることがある。 私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほど旧い日のことであつた。

家にもとからひとつの茶箪笥がある。 私は爪立つてやつと手のとどくじぶんからその戸棚をあけたり、抽匣をぬきだしたりして、それぞれの手ごたへや軋る音のちがふのを面白がつてゐた。 そこに鼈甲の引手のついた小抽匣がふたつ並んでるうち、かたつぽは具合が悪くて子供の力ではなかなかあけられなかつたが、それがますます好奇心をうごかして、ある日のことさんざ骨を折つてたうとう無理やりにひきだしてしまつた。 そこで胸を躍らせながら畳のうへへぶちまけてみたら風鎮ふうちんだの印籠いんろうの根付だのといつしよにその銀の匙をみつけたので、訳もなくほしくなりすぐさま母のところへ持つていつて

「これをください」

といつた。 眼鏡をかけて茶の間に仕事をしてた母はちよいと思ひがけない様子をしたが

「大事にとつておおきなさい」

といつになくぢきに許しがでたので、嬉しくもあり、いささか張合ぬけのきみでもあつた。 その抽匣は家が神田からこの山の手へ越してくるときに壊れてあかなくなつたままになり、由緒のある銀の匙もいつか母にさへ忘れられてたのである。 母は針をはこびながらその由来を語つてくれた。

私の生れる時には母は殊のほかの難産で、そのころ名うてのとりあげ婆さんにも見はなされて東桂さんといふ漢方の先生にきてもらつたが、私は東桂さんの煎薬ぐらゐではいつかな生れるけしきがなかつたのみか気の短い父が癇癪をおこして噛みつくやうにいふもので、東桂さんはほとほと当惑して漢方の本をあつちこつち読んできかせては調剤のまちがひのないことを弁じながらひたすら潮時をまつてゐた。 そのやうにさんざ母を悩ましたあげくやつとのことで生れたが、そのとき困りはてた東桂さんが指につばをつけて一枚一枚本をくつては薬箱から薬をしやくひだす様子は私を育ててくれた剽軽な伯母さんの真にせまつた身ぶりにのこつていつまでもかれることのない笑ひぐさとなつた。

私は元来脾弱ひよわかつたうへに生れると間もなく大変な腫物できもので、母の形容によれば「松かさのやうに」頭から顔からいちめんふきでものがしたのでひきつづき東桂さんの世話にならなければならなかつた。 東桂さんは腫物を内攻させないために毎日まつ黒な煉薬と烏犀角うさいかくをのませた。 そのとき子供の小さな口へ薬をすくひいれるには普通の匙では具合がわるいので伯母さんがどこからかこんな匙をさがしてきて始終薬を含ませてくれたのだといふ話をきき、自分ではつひぞ知らないことながらなんとなく懐しくてはなしともなくなつてしまつた。 私は身体ぢゆうのふきでものを痒がつて夜も昼もおちおち眠らないもので糠袋へ小豆を包んで母と伯母とがかはるがはる瘡蓋かさぶたのうへをたたいてくれると小鼻をひこつかせてさも気もちよささうにしたといふ。 その後ずつと大きくなるまで虚弱のため神経過敏で、そのうへ三日にあげず頭痛に悩まされるのを、家の者は 糠袋で叩いたせゐで脳を悪くしたのだ といつて来る人ごとに吹聴した。 そのやうに母に苦労をかけて生れた子は母の産後のひだちのよくないためや手の足りないために、ときどき乳をのませるときのほかはちやうどそのころ家の厄介になつてた伯母の手ひとつで育てられることになつた。

伯母さんのつれあひは惣右衛門さんといつて国では小身ながら侍であつたけれど、夫婦そろつて人の好い働きのない人たちだつたので御維新の際にはひどく零落してしまひ、ひきつづき明治何年とかのコレラのはやつた時に惣右衛門さんが死んでからはいよいよ家がもちきれなくなつてたうとう私のとこの厄介になることになつたのださうだ。 国では伯母さん夫婦の人の好いのにつけこんで困つた者はもとより、困りもしない者までが困つた困つたといつて金を借りにくると自分たちの食べる物に事をかいてまでも貸してやるので、さもなくてさへ貧乏な家は瞬くうちに身代かぎり同然になつてしまつたが、さうなれば借りた奴らは足ぶみもしずに蔭で

「あんまり人がよすぎるで」

なぞと嘲笑つてゐた。 二人はよくよく困れば心あたりの者へ返金の催促もしないではなかつたけれど、さきがすこし哀れなことでもいひだせばほろほろ貰ひ泣きして帰つてきて

「気の毒な 気の毒な」

といつてゐた。

また伯母さん夫婦は大の迷信家で、いつぞやなぞは 白鼠は大黒様のお使だ といつて、どこからかひとつがひ買つてきたのを お福様 お福様 と後生大事に育ててたが、鼠算でふえる奴がしまひにはぞろぞろ家ぢゆう這ひまはるのをお芽出たがつて、なにか事のある日には赤飯をたいたり一升枡に煎り豆を盛つたりしてお供へした。 そんな風で僅ばかりの金は人に借り倒され、米櫃の米はお福様に食ひ倒されて、ほんの著のみ著のままの姿で、そのじぶん殿様のお供でこちらに引越してた私の家を頼りにはるばる国もとから出てきたのださうだが、その後間もなく惣右衛門さんがコレラでなくなつたため伯母さんはまつたく身ひとつの寡婦になつてしまつた。 伯母さんはその時の話をして それは異国の切支丹が日本人を殺してしまはうと思つて悪い狐を流してよこしたからコロリがはやつたので、一コロリ三コロリと二遍もあつた。

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銀の匙 - 情報

銀の匙

ぎんのさじ

文字数 93,364文字

著者リスト:
著者中 勘助

底本 中勘助全集 第一巻

親本 中勘助全集第一巻

青空情報


底本:「中勘助全集 第一巻」岩波書店
   1989(平成元)年9月21日発行
底本の親本:「中勘助全集第一巻」角川書店
   1960(昭和35)年12月5日刊
初出:前篇「東京朝日新聞」
   1913(大正2)年4月8日〜6月4日
   後篇「東京朝日新聞」
   1915(大正4)年4月17日〜6月2日
※初出時の表題は、前篇は「銀の匙」、後篇は「つむじまがり」です。
※初出時の署名は「那迦」です。
入力:kompass
校正:岡村和彦
2017年4月13日作成
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:銀の匙

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