牧野富太郎自叙伝 01 第一部 牧野富太郎自叙伝
著者:牧野富太郎
まきのとみたろうじじょでん - まきの とみたろう
文字数:54,529 底本発行年:1956
幼年期
土佐の国、高岡郡
佐川の町は山内家特待の家老――深尾家の領地で、それがこの町の主権者であった。
明治の代になり、文明開化の世になると学校も前とは組織も変わり、後にはそこで科学・文学を教えるようになった。 そうなったのが明治五、六年の頃であった。
明治七年にはじめて小学校制がしかれたので名教館は廃され、小学校になった。
佐川の領主――深尾家は主権者だが、その下に多くの家来がいて、これらの武士は町の一部に住み、町の大部分には町人が住んでいた。 そして町の外には農家があった。 近傍の村の人達は皆この町へ買物にきた。 佐川の町には色々の商人がいて商売をしていた。 佐川は大変水のよいところなので酒造りに適していたため、数軒の酒屋があった。 町の大きさの割には酒家が多かった。
この佐川の町にかく述べる牧野富太郎が生まれた。
文久二年四月二十四日
佐平と久寿の間にたった一人の子として私は生まれた。 私が四歳の時、父は病死し、続いて二年後には母もまた病死した。 両親共に三十代の若さで他界したのである。 私はまだ余り幼かったので父の顔も、母の顔も記憶にない。 私はこのように両親に早く別れたので親の味というものを知らない。 育ててくれたのは祖母で、牧野家の一人息子として、とても大切に育てたものらしい。 小さい時は体は弱く、時々病気をしたので注意をして養育された。 祖母は私の胸に骨が出ているといって随分心配したらしい。 酒屋を継ぐ一人子として大切な私だったのである。
生まれた直後、乳母を雇い、その乳母が私を