山椒魚
著者:北大路魯山人
さんしょううお - きたおおじ ろさんじん
文字数:2,809 底本発行年:1980
ひとつ変ったたべものの話をしよう。
長い間には、ずいぶんいろいろなものを食ったが、いわゆる悪食の中には、そう美味いものはない。
「変ったたべものの中で美味いものは?」
と問われるなら、さしずめ
山椒魚を食うのは、決して悪食ではないが、ご承知のように山椒魚は、保護動物として捕獲を禁止されている上に、どこにもいるというものでないから、滅多に人の口に入らない。 その意味から言って、山椒魚は文字通りの珍味であると言えよう。
でも、私が山椒魚を珍味と言うのは、単に珍しいという点ばかりではない。 いくら珍しくとも、美味くなければ珍味とは言えない。 世の中には珍しがられていても、美味くないしろものがいくらもある。 ところが、山椒魚は珍しくて美味い。 それゆえにこそ、名実ともに珍味に価すると言えよう。
大分前の話になるが、旧明治座前の八新の主人が、山椒魚料理の体験談を聞かせてくれたことがある。 その話の中で、
「山椒魚を殺すには、すりこぎで頭部に一撃を食らわせるんですが、断末魔に、キューと悲鳴をあげる。 あの声は、なんとも言えない薄気味悪いもんですな」
と、心から気味悪そうに語った。
中国の『蜀志』という本には、
「山椒魚は木に縛りつけ、棒で叩いて料理する」
と出ているということであるが、山椒魚の料理法など知っているものは、そういないだろう。 私も初めて山椒魚を料理するときには、この話を思い出し、その伝でやってみた。
震災前のことだから、大分古い話になるが、水産講習所の所長をしておられた伊谷二郎という人が、山椒魚を三匹手に入れたというので、そのうちの一匹を私に贈ってくれたことがあった。
二尺ぐらいのものであったろうか、大体がグロテスクな恰好をしているし、肌もちょっと見は、いかにも気持の悪いものであるが、
八新の主人公の伝で、頭にカンと一撃を食らわすと、簡単にまいって、腹を裂いたとたんに、山椒の匂いがプーンとした。
腹の内部は、思いがけなくきれいなものであった。
肉も非常に美しい。
さすが深山の清水の中に育ったものだという気がした。
そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、
それから、皮、肉をブツ切りにして、すっぽんを煮るときのように煮てはみたが、なかなかどうして、簡単に煮えない。 煮えないどころか、一旦はコチコチに固くなる。 それから長いこと煮たが、一向やわらかくならない。 二、三時間煮たが、なお固い。
ともかく、長いこと煮て、ようやく歯が立つようになったので、ひと口食ってみたら、味はすっぽんを品よくしたような味で、非常に美味であった。 汁もまた美味かった。
すっぽんとふぐの合の子と言ったら妙な比喩であるが、まあそのくらいの位置にある美味と言うことができようか。 すっぽんも相当美味いが、すっぽんには一種の臭みがある。 山椒魚はすっぽんのアクを抜いたような、すっきりした上品な味である。
きのうの味を忘れかね、次の日また食ってみたら、一層美味いのにはびっくりした。