海上の道
著者:柳田国男
かいじょうのみち - やなぎた くにお
文字数:180,928 底本発行年:1963
まえがき
私は三十年ほど前に、日本人は
日本の南北の交通は、
日本では
それがやや
私が東海岸と言い出したのは、別に明白な
日本人が主たる交通者であった時代、那覇の港が開けるまでの間は、東海岸地帯は日本と共通するものが多かったと想像できる。 言葉なども多分現在よりも日本に近かったのだろうと思う。 首里・那覇地方は一時盛んに外国人を受け入れて、十カ国ぐらいの人間がいたというから、東側とは大分事情が違うのであった。
本島の
沖縄本島は飛行機から見ればもちろんだけれども、そうでなくても丘の上にあがると東西両面の海が見える処がある。
私が一番最初それを感じたのは、NHKの矢成君たちが国頭の
今日では勝連の文化というものが少しも残されていない。
往時わが国では如何なる船を使って南北の間を航海したのであろうか。
専門の造船業者のなかった時代を考えると、船材の得られる場所をみつけて、そこで船を造って用いたに違いない。
たとえば
日本人の渡来を問題にするとき、東海岸の航路を取り上げざるを得ない。
どの辺にはじめて上陸したかについては、いろいろな説が成り立ち得るが、
まえがき
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海上の道 - 情報
青空情報
底本:「海上の道」岩波文庫、岩波書店
1978(昭和53)年10月16日第1刷発行
2010(平成22)年4月5日第34刷発行
底本の親本:「定本柳田國男集 第一巻」筑摩書房
1963(昭和38)年9月25日
初出:まえがき「海上の道」筑摩書房
1961(昭和36)年
海上の道「心 第五巻第一〇号・第一一号・第一二号」酣燈社
1952(昭和27)年10月〜12月
海神宮考「民族学研究 第一五巻第二号」日本民族学協会
1950(昭和25年)11月
みろくの船「心 第四巻第七号」酣燈社
1951(昭和26年)10月1日
根の国の話「心 第八巻第九号」生成会
1955(昭和30年)9月1日
鼠の浄土「伝承文化 第一号」成城大学民俗学研究室
1960(昭和35)年10月10日
宝貝のこと「文化沖縄 第二巻第七号」沖縄文化協会
1950(昭和25年)10月20日
人とズズダマ「自然と文化 第三号」自然史学会
1953(昭和28)年2月1日
稲の産屋「新嘗の研究 第一輯」創元社
1953(昭和28)年11月23日
知りたいと思う事二、三「民間伝承 第一五第七号」日本民俗学会
1951(昭和26年)11月5日
※「倭名鈔」と「倭名抄」の混在は、底本通りです。
※底本の「まえがき」は、「海上の道」(筑摩書房、1961(昭和36)年7月15日発行)の著者訂正稿によります。
※底本の「索引」は、「海上の道」(筑摩書房、1961(昭和36)年7月15日発行)によります。
※図は、「海上の道」筑摩書房、1961(昭和36)年7月15日からとりました。
※底本の「索引」では、項目の参照先として頁数を示していますが、本テキストでは省略しました。
入力:Nana ohbe
校正:酔いどれ狸
2014年5月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:海上の道