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森の生活――ウォールデン―― 02 森の生活――ウォールデン――

原題:WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS

著者:ソーロー Henry David Thoreau

もりのせいかつ

文字数:285,170 底本発行年:1979
著者リスト:
底本: 森の生活
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訳者のことば

ソーロー Thoreau の『ウォールデン―森の生活』(Walden, or Life in the Woods)はアメリカの代表的古典の一つである。 そのうちに盛られた精神は今日われわれの耳目にふれてつくられるアメリカという概念からはだいぶ懸けはなれているように見えるが、実はその基盤によこたわる大きな要素の一つであって、こういう要素を見落としてはわれわれのアメリカという概念には重大な欠陥がのこされるであろう。 この書物はまた人類共通の古典である。 このように自然と人事とを見、感じ、考え、生きた人の誠実で刻銘な記録は世界の人間の絶えざる反省と刺戟しげきと慰めとの源であらねばならない。 現代人は追いたてられるような足どりで、思いつめた眼つきでどこにくつもりであろうか。 われわれは「簡素な生活、高き想い」の実践者ソーローとともに sober(しらふ)になり、単純に考え、大地に足をつけた生き方をする必要がありはしないか。 もちろん、彼の時代と環境とはわれわれのそれではなく、そのままの形で学ぶことはできないが。

ソーローは一八四五年七月四日(米国独立祭の日)に自分の住んでいたコンコードの町から南方一マイル半のウォールデン池のほとりの森のなかの、自分の手で建てた小屋に移って二年と二カ月間独り暮しをした。 『ウォールデン』はその生活報告である。 内容は、その動機、どうしてその小屋を建てたか、畠作り、湖水と森の四季のうつりかわり、そのあたりの植物や動物の生態の描写、そこを訪れる、あるいはそこからソーローが出かけていった隣人たちの叙述、そういう静かな環境における読書と思索、その他、である。

ソーローはこの二年あまりの独居のあいだに、先年兄のジョンとともに舟遊びしたときの記録『コンコード河とメリマック河の一週間』の原稿をまとめ――これは一八四九年に自費出版されたが、大部分しょい込みとなった――『ウォールデン』の原稿の大部分を書き、森を出てのちさらに筆を加えて一八五四年に世に問うたが、この方は相当よく売れた、そして著者の死後も年を逐うて真価をみとめられ、今ではアメリカ文学の古典の一つとしての地位を確立した。

著者ソーローは禁欲的な求道者であるとともにたくましい享楽家である。 彼の禁欲的な簡素な生活は十二分の享受のための前提であり準備である。 彼が朝の清澄な気分をコーヒーや茶で不純にすることを欲せず、もちろん飲酒喫煙せず、肉食をさけて米や粗末なパンや木の実を好んで食べ、恋愛せず、家庭的覊絆きはんをもたず、最小限の生活をささえる以上の肉体労働をしなかったのは、曇りのない眼と清純な感覚とをもって自然と人生の真趣を心ゆくばかり味わわんがためであった。 が、彼は消極的に花鳥風月をたのしむ風流人ではなく、魚を釣り、水鳥を追いまわし、兎やリスに餌をやるまめな人間である。 また湖水に測鉛を投じ、氷の厚さに物指しをあて、携帯望遠鏡で動物の瞬間的生態をとらえんとする科学者でもある。 特に珍重すべきは彼が風景や動植物についてもつ異常に鋭敏な詩的感受性と表現力である。 それによって彼はあるいは青空に溶けこむほどうつくしく霊妙な、あるいはずっしりと重みのある変に生ま生ましい、幾つかの、否、幾十かの不朽な心象を創造した。 やや注意ぶかくこの書を読む人は、しばしばそれに行きあたり、長くとどまる感銘を心に投ぜられるであろう。 ただし彼は効果を考えて過不足のないタッチを按配する器用な芸術家ではない。 また彼の着想とその展開とは必ずしも作家が普通に持ちあわせ、読者が待ちもうける溝に沿うては流れない。 彼は独断と誇張と飛躍とをはばからず、独りよがりや野狐禅的やこぜんてき口吻こうふんと受けとられがちなものをも挙揚する。 そこにある程度まで晦渋かいじゅうと抵抗とがまぬがれがたく、甘脆かんぜい軽快な読物にのみ慣れた読者には取りつきにくい点がなくもない。 けれども小さな完成を必ずしもこいねがわず、かりそめの成敗を多く意に介せず、正直と真面目さから来る独創を珍重する読者はこの書物から多くの示唆と収穫とをうるにちがいない。

彼の友であり彼の伝記を書いた詩人チャニングが評したように、彼は「詩人博物学者」である。 自然は彼にとっては冷やかな非情物ではなく、人生と二にして一である。 彼にあってはウォールデンの湖水や森が有情うじょうであるばかりでなく、そこに住むいろいろな小動物や植物も人間のさまざまな性格と運命とを反映する。 それは人間の本質を、いわば芸術的デフォルマシオンによって一層立体的に一層自由に、時には怪奇とおもわれるまで生き生きと表現する。 「彼は人事に向けて自然という鏡を掲げた」と評される所以ゆえんである。 逆に、人事に対する切実な関心を背景として森の花は最もうるわしく匂い、月光は一段と清く湖底に澄みとおる。 「喜びと悲しみは自然を最も美しく照らし出す光である」と彼自身がいっているとおり。

けれどもソーローの同感の振幅は、すべての天才のそれも免れないごとく、限られている。 彼はあまりに健全すぎ正気すぎ弱味がなさすぎる。 この書もまた、一つの告白文学にちがいないのだが、ここには人生の荊棘けいきょくに血を流しうめく声のかわりに、ハックルベリーのの饗宴に充ち足り、想いをガンジスの悠久な流れにはせる、自信にみちた独白がある。 あるのは涙ではなくせいぜいほのかな詠嘆である。 けれども多くの文学が繊弱なもの病的なものの強調に偏しているほどにはソーローはその逆の方向に偏してはいまい。 訳者は特に、文学に親しむ若い人々が人生について思いちがいをしないために、ソーローの好んで吹く笛の、別な調べに耳を傾けることを勧めたい。

次に、読者の参考のために彼の生涯を一瞥いちべつしてみよう。 ヘンリー・デーヴィッド・ソーロー Henry David Thoreau は一八一七年七月十二日アメリカ合衆国の東北部、マサチュセッツ州のコンコード(ボストンの西北二十マイル)の町で生まれた。

訳者のことば

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森の生活――ウォールデン―― - 情報

森の生活――ウォールデン―― 02 森の生活――ウォールデン――

もりのせいかつ 02 もりのせいかつ――ウォールデン――

文字数 285,170文字

著者リスト:

底本 森の生活

青空情報


底本:「森の生活」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年5月16日改版第1刷発行
   1994(平成6)年11月15日第30刷発行
※「註文」と「注文」、「痩」と「瘠」の混在は、底本通りです。
※ページを参照している箇所は、該当する見出しを記載しました。
入力:Cavediver
校正:砂場清隆
2019年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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