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黒田如水

著者:吉川英治

くろだじょすい - よしかわ えいじ

文字数:161,605 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 黒田如水
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蜂の巣

太鼓櫓たいこやぐら棟木むなぎの陰へ、すいすいと吸いこまれるように、はちがかくれてゆく、またぶーんと飛び出してゆくのもある。

ここの太鼓もずいぶん久しい年代をているらしい。 びょうの一粒一粒が赤くびているのでもわかる。 四方の太柱ふとばしらでさえ風化ふうかして、老人の筋骨のように、あらあらと木目のすじが露出ろしゅつしている。 要するに、この御着ごちゃくの城と同時に建った物であることは疑いもない。

「……あ、蜂の巣か」

官兵衛かんべえは眼をさました。 とたんに自分のえりくびをつよくたたいて、ひさしの裏を赤い眼で見あげた。

ゆうべから彼は寝ていない。 すいのひまをぬすむこともできなかったのである。 そこでさっきから独りここへ逃避とうひして、柱の下に背をもたせかけたまま、よいこころもちで居眠っていたのであった。

本丸の方からは見えないし、夏のざしもぐあいよく四囲の青葉がさえぎってくれている。 それに城内でもここの位置は最も高いので、中国山脈の脊梁せきりょうから吹いてくるそよ風がびんや、ふところなぶって、一刻の午睡ひるねをむさぼるにはまことに絶好な場所だった。

「これはいかん、だいぶ食われた。 ……蜂までがおれを寝かさんな」

官兵衛はひとり苦笑して、襟くびやまぶたをしきりに手でこすっていた。

為に、眠った間はほんのわずかであったが、それでも、大きな欠伸あくびを一つ放つと共に、夜来の疲れは頭から一せんされていた。 そしてまた今夜も寝ずに頑張らなければならないと、ひそかに考えていた。

しかし彼は容易にそこからたなかった。 はかまひざを抱いたまま、柱にって、ぽかんと屋根裏を仰いでいた。 蜂の巣を中心に、蜂の世界にも戦争が行われているらしいのである。 偵察蜂ていさつばちが出て行ったり、突撃蜂を撃退したりしている。 官兵衛は見飽みあかない顔をしていた。 けれど頭のなかではまったくべつなことを思案していたかも知れなかった。

するとやがて二人の家中かちゅうが上がって来た。 侍小頭さむらいこがしら室木むろき斎八と今津いまづ源太夫のふたりだった。 官兵衛のすがたをここに見出すと、ふたりとも意外な容子ようすを声にまであらわして告げた。

「や、ご家老には、こんな所へ来ておいで遊ばしたか。 いやもう、彼方ではたいへんな騒ぎです。 きっとご立腹の余り姫路へ帰ってしまったにちがいないという者もあるし、いやいや、殿に無断で立退くほど非常識なお人ではない、まだどこかにいるだろう、などと諸所を探しまわるやら、城外まで人を見に出すやらで……」

「ははは。 そうか。 そんなに探しておったか」

まるで人事ひとごとのような官兵衛の顔つきだった。 そんな問題よりは、蜂に食われた瞼のほうが重大らしく、眉と眼のあいだを、しきりと指の腹でいていた。

全国、どこの城にも、かならず評定ひょうじょうというものはある。 けれどもその評定の間から真の大策たいさくらしい大策が生れた例は甚だ少ないようだ。

蜂の巣

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黒田如水 - 情報

黒田如水

くろだじょすい

文字数 161,605文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 黒田如水

青空情報


底本:「黒田如水」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年11月11日第1刷発行
   2007(平成19)年1月18日第25刷発行
初出:「週刊朝日」朝日新聞社
   1943(昭和18)年1月〜8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年5月4日作成
2017年2月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:黒田如水

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