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或る少女の死まで

著者:室生犀星

あるしょうじょのしまで - むろう さいせい

文字数:42,237 底本発行年:1952
著者リスト:
著者室生 犀星
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序章-章なし

[#ページの左右中央]

大正八年十一月

[#改ページ]

遠いところで私を呼ぶ声がするので、ふと眼をさますと、枕もとに宿のおかみが立っていた。 それを見ながら私はまたうとうとと深い睡りに落ちかかった。

「是非会わなければならないと言って、そとで誰方どなたか待っていらっしゃいます。 おやすみになっていらっしゃいますと言っても、是非会わなければならないって――。」

私はゆめうつつに聴いていたが、もしやと思ってはっとした。 すると、ふしぎに頭がいちどに冷たくなった。

「どんな人です。」

「眼の鋭い、いやな人です。 とにかくおあいになったらどう。 いらっしゃいますと私はそう申しておいたのですから。」

「じゃ階下へいま行きます。」

私は着物をきかえると、袂のところに泥がくっついたのが何時の間にか乾いたのであろう、ざらざらとこぼれた。

階下へ降りると、玄関の格子戸のそとに、日に焼けた髯の長い男が立っていた。 見ると同時に、額からだらだらと流れた血を思い出した。 ふらふらして宿へかえったとき、宿の時計が午前二時を指していたことと、宿のものが皆寝込んでひっそりしていたことを思い出した。

「あなたですか。 ××さんと言われるのは。」

いきなり田舎訛りのある言葉で言った。

「そうです。 御用は。」

「私はこんなものです。」 と一枚の名刺を出した。 駒込署刑事何某とあった。

「すぐ同行してもらいたいのです。 昨夜は遅くおかえりでしたろうな。」

私はすぐに、

「二時にかえったのです。 みな分っています。 いま着換えしますから。」 と言った。

私は二階へあがると、泥のつかない着物を押入から取り出して着た。 そして室の中を丁寧に見廻した。 ガマ口の金を半分だけ机の曳出しに入れたが、こんどは辞書の中へ挿み込んだ。 何故かこんなことをしなければならないような気がした。 くしゃくしゃになった敷島の殻を反古籠ほごかごに投げ込んで、ぬぎすてた着物も畳んだ。 室が乱れていないのを見て、ほっと安心した。

序章-章なし
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或る少女の死まで - 情報

或る少女の死まで

あるしょうじょのしまで

文字数 42,237文字

著者リスト:
著者室生 犀星

底本 或る少女の死まで 他二篇

青空情報


底本:「或る少女の死まで 他二篇」岩波文庫、岩波書店
   1952(昭和27)年1月25日第1刷発行
   2003(平成15)年11月14日改版第1刷発行
   2005(平成17)年12月15日第3刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:辻朔実
校正:門田裕志、小林繁雄
2012年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:或る少女の死まで

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