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黒猫

原題:The Black Cat

著者:エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe

くろねこ

文字数:9,960 底本発行年:1951
著者リスト:
底本: 黒猫・黄金虫
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序章-章なし

私がこれから書こうとしているきわめて奇怪な、またきわめて素朴そぼくな物語については、自分はそれを信じてもらえるとも思わないし、そう願いもしない。 自分の感覚でさえが自分の経験したことを信じないような場合に、他人に信じてもらおうなどと期待するのは、ほんとに正気の沙汰さたとは言えないと思う。 だが、私は正気を失っている訳ではなく、――また決して夢みているのでもない。 しかしあす私は死ぬべき身だ。 で、今日のうちに自分の魂の重荷をおろしておきたいのだ。 私の第一の目的は、一連の単なる家庭の出来事を、はっきりと、簡潔に、注釈ぬきで、世の人々に示すことである。 それらの出来事は、その結果として、私を恐れさせ――苦しめ――そして破滅させた。 だが私はそれをくどくどと説明しようとは思わない。 私にはそれはただもう恐怖だけを感じさせた。 ――多くの人々には恐ろしいというよりも怪奇バロックなものに見えるであろう。 今後、あるいは、誰か知者があらわれてきて、私の幻想を単なる平凡なことにしてしまうかもしれぬ。 ――誰か私などよりももっと冷静な、もっと論理的な、もっとずっと興奮しやすくない知性人が、私が畏怖いふをもって述べる事がらのなかに、ごく自然な原因結果の普通の連続以上のものを認めないようになるであろう。

子供のころから私はおとなしくて情けぶかい性質で知られていた。 私の心の優しさは仲間たちにからかわれるくらいにきわだっていた。 とりわけ動物が好きで、両親もさまざまな生きものを私の思いどおりに飼ってくれた。 私はたいていそれらの生きものを相手にして時を過し、それらに食物をやったり、それらを愛撫あいぶしたりするときほど楽しいことはなかった。 この特質は成長するとともにだんだん強くなり、大人になってからは自分の主な楽しみの源泉の一つとなったのであった。 忠実な利口な犬をかわいがったことのある人には、そのような愉快さの性質や強さをわざわざ説明する必要はほとんどない。 動物の非利己的な自己犠牲的な愛のなかには、単なる人間のさもしい友情や薄っぺらな信義をしばしばめたことのある人の心をじかに打つなにものかがある。

私は若いころ結婚したが、幸いなことに妻は私と性の合う気質だった。 私が家庭的な生きものを好きなのに気がつくと、彼女はおりさえあればとても気持のいい種類の生きものを手に入れた。 私たちは鳥類や、金魚や、一匹の立派な犬や、うさぎや、一匹の小猿こざるや、一匹の猫などを飼った。

この最後のものは非常に大きな美しい動物で、体じゅう黒く、驚くほどに利口だった。 この猫の知恵のあることを話すときには、心ではかなり迷信にかぶれていた妻は、黒猫というものがみんな魔女が姿を変えたものだという、あの昔からの世間の言いつたえを、よく口にしたものだった。 もっとも、彼女だっていつでもこんなことを本気で考えていたというのではなく、――私がこの事がらを述べるのはただ、ちょうどいまふと思い出したからにすぎない。

プルートォ(1)――というのがその猫の名であった――は私の気に入りであり、遊び仲間であった。 食物をやるのはいつも私だけだったし、彼は家じゅう私の行くところへどこへでも一緒に来た。 往来へまでついて来ないようにするのには、かなり骨が折れるくらいであった。

私と猫との親しみはこんなぐあいにして数年間つづいたが、そのあいだに私の気質や性格は一般に――酒癖という悪鬼のために――急激に悪いほうへ(白状するのも恥ずかしいが)変ってしまった。 私は一日一日と気むずかしくなり、癇癪かんしゃくもちになり、他人の感情などちっともかまわなくなってしまった。 妻に対しては乱暴な言葉を使うようになった。 しまいには彼女の体に手を振り上げるまでになった。 飼っていた生きものも、もちろん、その私の性質の変化を感じさせられた。 私は彼らをかまわなくなっただけではなく、虐待ぎゃくたいした。 けれども、兎や、猿や、あるいは犬でさえも、なにげなく、または私を慕って、そばへやって来ると、遠慮なしにいじめてやったものだったのだが、プルートォをいじめないでおくだけの心づかいはまだあった。 しかし私の病気はつのってきて――ああ、アルコールのような恐ろしい病気が他にあろうか! ――ついにはプルートォでさえ――いまでは年をとって、したがっていくらか怒りっぽくなっているプルートォでさえ、私の不機嫌ふきげんのとばっちりをうけるようになった。

ある夜、町のそちこちにある自分の行きつけの酒場の一つからひどく酔っぱらって帰って来ると、その猫がなんだか私の前を避けたような気がした。 私は彼をひっとらえた。 そのとき彼は私の手荒さにびっくりして、歯で私の手にちょっとした傷をつけた。

序章-章なし
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黒猫 - 情報

黒猫

くろねこ

文字数 9,960文字

著者リスト:

底本 黒猫・黄金虫

青空情報


底本:「黒猫・黄金虫」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年8月15日発行
   1995(平成7)年10月15日89刷改版
   1997(平成9)年第93刷
入力:大野晋
校正:宮崎直彦
1999年2月4日公開
2014年2月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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