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十二支考 01 虎に関する史話と伝説民俗

著者:南方熊楠

じゅうにしこう - みなかた くまぐす

文字数:54,650 底本発行年:1951
著者リスト:
著者南方 熊楠
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(一)名義の事

ぼん名ヴィヤグラ、今のインド語でバグ、南インドのタミル語でピリ、ジャワ名マチャム、マレー名リマウ、アラブ名ニムル、英語でタイガー、その他欧州諸国大抵これに似おり、いずれもギリシアやラテンのチグリスに基づく。 そのチグリスなる名は古ペルシア語のチグリ()より出で、虎のはやく走るを箭の飛ぶに比べたるに因るならんという。 わが国でも古来虎を実際見ずに千里を走ると信じ、戯曲に清正の捷疾すばやさを賞して千里一跳虎之助せんりひとはねとらのすけなどと洒落しゃれて居る。 プリニの『博物志』に拠れば生きた虎をローマ人が初めて見たのはアウグスッス帝の代だった。 それより前に欧州人が実物を見る事極めてまれだったから、虎が餌を捕うるため跳るはやさをペルシアで箭の飛ぶに比べたのを聞き違えてかプリニの第八巻二十五章にこんなことを述べて居る。 いわく「ヒルカニアとインドに虎あり疾く走る事驚くべし。 子を多く産むその子ことごとく取り去られた時最も疾く走る。 例えば猟夫ひまに乗じその子供を取りて馬を替えて極力せ去るも、父虎もとより一向子の世話を焼かず。 母虎巣に帰って変を覚ると直ちににおいいで跡を尋ね箭のごとく走り追う。 その声近くなる時猟夫虎の子一つを落す。 母これをくわえて巣にはしり帰りその子を※(「宀/眞」、第3水準1-47-57)きてまた猟夫を追う。 また子一つを落すを拾い巣に伴い帰りてまた拾いに奔る。 かかる間に猟師余すところの虎の子供を全うして船に乗る。 母虎浜に立ちて望み見ていたずらに惆恨ちゅうこんす」と。 しかれども十七世紀には欧人東洋に航してまのあたきた虎を自然生活のまま観察した者多くなり、噂ほど長途を疾く走るものでないと解ったので、英国サー・トマス・ブラウンの『俗説弁惑プセウドドキシヤ・エピデミカ』にプリニの説を破り居る。 李時珍いう虎はその声にかたどると、虎唐音フウ、虎がフウとえるその声をそのまま名としたというんだ。 これはしかるべき説ですべてどこでもオノマトープとて動物の声をその物の名としたのがすこぶる多い。 往年『学芸志林』で浜田健次郎君がわが国の諸例を詳しく述べられた。 虎の異名多くある中にしんりょう以後の書にしばしば大虫と呼んだ事が見える。 大きな動物すなわち大親分と尊称した語らしい。 スウェーデンの牧牛女うしかいめは狼を黙者だんまり灰色脚はいいろあし金歯きんばなど呼び、熊を老爺おやじ大父おおちち、十二人力にんりき金脚きんあしなど名づけ決してその本名を呼ばず、また同国の小農輩キリスト昇天日の前の第二週の間鼠蛇等の名を言わず、いずれもその害を避けんためだ(ロイド『瑞典小農生活ピザント・ライフ・イン・スエデン』)。 カナリース族は矮の本名を言わずベンガルでは必ず虎を外叔父ははかたのおじと唱う(リウィス『錫蘭セイロン俗伝』)。 わがくににも諸職各々忌詞いみことばあって、『北越雪譜ほくえつせっぷ』に杣人そまびとや猟師が熊狼から女根まで決して本名をとなえぬ例を挙げ、熊野でもうさぎ巫輩みこども狼を山の神また御客様など言い山中で天狗を天狗と呼ばず高様たかさまと言った。 また支那で虎を李耳りじと称う、晋の郭璞かくはくは〈虎物を食うに耳にえばすなわちむ、故に李耳と呼ぶ、そのいみなに触るればなり〉、漢の応劭おうしょうは南郡の李翁が虎に化けた故李耳と名づくと言ったが、明の李時珍これを妄とし李耳は狸児りじなまったので、今も南支那人虎を呼んで猫と為すと言った。 狸は日本でもっぱら「たぬき」とますが支那では「たぬき」のほかに学名フェリス・ヴィヴェリナ、フェリス・マヌル等の野猫をも狸と呼ぶ。 したがって野狸にわかたんとて猫を家狸と異名す。 因って想うに仏経に竜を罵って小蛇子と言うごとく狸児は虎を蔑して児猫といった意味だろう。 これに似て日本で猫を虎になぞらえた事『世事せじ百談』に「虎を猫とは大小剛柔遥かにことなるといえども、その形状の相類する事絶えて能く似たり、されば我邦のいにしえ猫を手飼の虎といえる事『古今六帖こきんろくじょう』の歌に「浅茅生あさぢふの小野の篠原いかなれば、手飼の虎の伏所ふしどころなる」、また『源氏物語』女三宮の条に見えたり、唐土もろこしの小説に虎を山猫という事、『西遊記』第十三回〈虎穴に陥って金星厄をとりのぞく〉といえる条に「〈伯欽う風※(「口+何」、第4水準2-3-88)是個の山猫来れり云々、只見る一隻の班爛虎〉」とあり云々」、これも伯欽が勇をたのんで虎を山猫と蔑語したのだ。

(二)虎の記載概略

虎の記載を学術上七面倒に書くより『本草綱目』に引いた『格物論』(唐代の物という)を又引またびきするが一番手軽うて解りやすい。 いわく虎は山獣の君なり、かたち猫のごとくにて大きさ牛のごとく黄質黒章きのしたじくろきすじ鋸牙鉤爪のこぎりばかぎのつめ鬚健にしてとがり舌大きさ掌のごとくさかさまはりを生ず、うなじ短く鼻※(「鼾のへん+(巛/邑)」、第4水準2-94-74)ふさがる、これまでは誠に文簡にして写生の妙を極め居る。 さてそれから追々支那人流の法螺ほらを吹き出していわく、夜視るに一目は光を放ち、一目は物をる、声ゆる事雷のごとく風従って生じ百獣震え恐るとある。 しかし全くの虚譚でもないらしく思わるるは予闇室に猫を閉じめて毎度ためすと、こちらの見ようと、またあちらの向きようで一目強く光を放ち、他の目はなきがごとく暗い事がしばしばあった。 また虎うそぶけば風生ずとか風は虎に従うとかいうは、支那の暦に立秋虎始めて嘯くとあるごとく、秋風吹く頃より専ら嘯く故虎が鳴くのと風が吹くのと同時に起る例が至って多いのだろう。 予が現住する田辺たなべの船頭大波に逢うとオイオイオイと連呼よびつづくればしずまるといい、町内の男子暴風吹きすさむと大声挙げて風を制止する俗習がある。 ふたつながら予その場に臨んでためしたが波風が呼声を聞いて停止するでなく、人が風波のやむまで呼び続けるのだった。 バッチの『埃及諸神譜ゴッズ・オヴ・ゼ・エジプチアンス』に古エジプト人狗頭猴チノケフアルスを暁の精とし日が地平より昇りおわればこのさるに化すと信じた。 実はこの猴アフリカの林中に多く棲み日の出前ごとに喧噪呼号するを暁の精が旭を歓迎頌讃すと心得たからだとづ。 これも猴に呼ばれて旭が出るでなく旭が出掛かるによって猴が騒ぐのだ。

(一)名義の事

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十二支考 - 情報

十二支考 01 虎に関する史話と伝説民俗

じゅうにしこう 01 とらにかんするしわとでんせつみんぞく

文字数 54,650文字

著者リスト:
著者南方 熊楠

底本 十二支考(上)〔全2冊〕

親本 南方熊楠全集第一卷 〔十二支考Ⅰ〕

青空情報


底本:「十二支考(上)〔全2冊〕」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年1月17日第1刷発行
   1997(平成9)年10月6日第10刷発行
底本の親本:「南方熊楠全集第一卷 〔十二支考〕」乾元社
   1951(昭和26)年5月25日発行
初出:虎に関する史話と伝説民俗「太陽 二〇ノ一、二〇ノ五、二〇ノ九」博文館
   1914(大正3)年1月、5月、7月
   (付)虎が人に方術を教えた事「民俗学 三ノ一〇」民俗学会
   1930(昭和5)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※〈〉内の引用漢文の訓読は、編集部によります。
入力:小林繁雄
校正:浜野智
1999年3月23日作成
2016年5月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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