随筆 私本太平記
著者:吉川英治
ずいひつ しほんたいへいき - よしかわ えいじ
文字数:56,349 底本発行年:1990
新春太平綺語
おそらく、十代二十代の人には一笑にも値しまい。
けれど私たちの年齢の者は、平凡なはなしだが、「ああ、元日か」の感慨を年々またあらたにする。
昨日の歴史、あの戦中戦後を通って来て、生ける身を、ふしぎに思うからである。
そこで去年(昭和三十二年)の正月の試筆には、
むかしから、“太平楽”という言葉がある。
クリスマスからつづいてまだ不足顔の
原典の「太平記」を書いた作者は、小島ノ法師円寂とされている。
が、この人の伝記もよくわかっていない。
書かれた時代は正平から応安年間(今から約六百年前)ごろだろうと考察されている。
いずれにせよ、足利尊氏の死期をまたいだ頃だったらしい。
しかし筆者の小島ノ法師は、当時でいう宮方(南朝方)の人であったから、その物語は多分に一方的であって、史料として信じるわけにいかない学説は古くからあった。
けれどまた、北朝方の手に成った「
けれどまた、私の拙い作品でも、これが新聞小説となって、世衆の関心にふれてくると、社寺院の開かずの
さきに私は「新・平家物語」を書いたが、「太平記」は、それにくらべると、おなじ古典でも、時代が下がるし、人の考え方や世の中も一変している。 平家には見えたあの優雅な人々の無常観も“あわれ”さもまた文章の詩趣も至って乏しい。 総じて文学価値としては古典平家の方が太平記よりも上だとおもう。 けれど人間社会のけわしさとか、個々の苦闘とか、また歴史上の日本という国の未成年期山脈をふみ越えて来た祖先たちのあとを振向いてみるものにしては、平家の世頃とは、比較にならないものがある。 それだけに、小説としても、生々しい人間臭をもつとおもう。
しかし、これまでの太平記や、いわゆる南北朝概念では、足利尊氏にしろ新田義貞にしろ、また正成正行父子にしろ、誰の観念の中にも、人間としてはいない。 極端なまでに偶像化されたままである。 こころみに、私は周囲の高校生や大学初期の若い人たちに試問してみたが、ほとんどがよくもわるくもそれらの史上の人物について知るところがない。 わけて、日本の中世歴史中でも重要な五、六十年間において、どんな風に、この国があったのか、北朝、南朝などと分れていたのか、そんな社会の下の庶民や文化の生態はどうなっていたのかなど、中年以上の人でも、今ではすこぶるあいまいになっている。 そしてこのあいまいな歴史の密林にたいして、ただ一種の懐疑だけをもっているのが実状ではなかろうか。
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随筆 私本太平記 - 情報
青空情報
底本:「随筆 宮本武蔵/随筆 私本太平記」吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年10月11日第1刷発行
2003(平成15)年3月5日第9刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※二つの字体を比較する文脈で使われているので、JIS X 0208ではデザイン差で「吉」の区点位置とされる「土/口」に、Unicodeをあてました。
入力:門田裕志
校正:トレンドイースト
2012年12月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:随筆 私本太平記