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三国志 12 篇外余録

著者:吉川英治

さんごくし - よしかわ えいじ

文字数:20,540 底本発行年:1989
著者リスト:
著者吉川 英治
底本: 三国志(八)
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諸葛菜しょかつさい

三国鼎立ていりつの大勢は、ときの治乱が起した大陸分権の自然な風雲作用でもあったが、その創意はもともと諸葛孔明しょかつこうめいという一人物の胸底から生れ出たものであることは何としてもいなみがたい。 まだ二十七歳でしかなかった青年孔明が、農耕の余閑、草廬そうろに抱いていた理想の実現であったのである。 時に、三して迎えた劉玄徳りゅうげんとく奨意しょういにこたえ、いよいよを出て起たんと誓うに際して、

「これを以てあなたの大方針となすべきでしょう。 これ以外に漢朝復興の旗幟きしを以て中原ちゅうげんに臨む道はありますまい」

と、説いたものが実にその発足ほっそくであったわけだ。

そして遂に、その理想は実現を見、玄徳は西蜀せいしょくに位置し、北魁ほくぎ曹操そうそう東呉とうご孫権そんけんと、いわゆる三ぶん鼎立ていりつの一時代を画するに至ったが、もとよりこれが孔明の究極の目的ではない。

孔明の天下の三分の案は、玄徳が初めからの志望としている漢朝統一への必然な過程として選ばれた道であった。

しかし、この中道において、玄徳は世を去り幼帝みなしごの将来とともに、その遺業をも挙げて、

――すべてをたのむ。

と、孔明に託してったのである。 孔明の生涯とその忠誠の道は、まさにこの日から彼の真面目しんめんもくに入ったものといっていい。

遺孤みなしごの寄託、大業の達成。 ――寝ても醒めても「先帝の遺詔いしょう」にこたえんとする権化ごんげのすがたこそ、それからの孔明の全生活、全人格であった。

ゆえに原書「三国志演義」も、孔明の死にいたると、どうしても一応、終局の感じがするし、また三国争覇そのものも、万事む――の観なきを得ない。

おそらくは読者諸氏もそうであろうが、訳者もまた、孔明の死後となると、とみに筆をす興味も気力も稀薄となるのを如何いかんともし難い。 これは読者と筆者たるを問わず古来から三国志にたいする一般的な通念のようでもある。

で、この迂著うちょ三国志は、桃園とうえんの義盟以来、ほとんど全訳的に書いてきたが、私はその終局のみは原著にかかわらず、ここで打ち切っておきたいと思う。 即ち孔明の死を以て、完尾としておく。

原書の「三国志演義」そのままに従えば、五丈原以後――「孔明ハカリゴトノコシテ魏延ヲ斬ラシム」の桟道さんどう焼打ちのことからなお続いて、魏帝曹叡そうえいの栄華期と乱行らんぎょうぶりを描き、司馬父子の擡頭たいとうから、呉の推移、蜀破滅、そして遂に、しんが三国を統一するまでの治乱興亡をなお飽くまでつぶさに描いているのであるが、そこにはすでに時代の主役的人物が見えなくなって、事件の輪郭りんかくも小さくなり、原著の筆致もはなはだ精彩を欠いてくる。 要するに、龍頭蛇尾りゅうとうだびに過ぎないのである。

従って、それまでを全訳するには当らないというのが私の考えだが、なお歴史的に観て、孔明歿後ぼつごの推移も知りたいとなす読者諸氏も少なくあるまいから、それはこの余話の後章に解説することにする。

それよりも、原書にも漏れている孔明という人がらについて、もっと語りたいものを多く残しているように、私には思える。 それも演義本にのみよらず、他の諸書をも考合こうごうして、より史実的な「孔明遺事こうめいいじ」ともいうべき逸話や後世の論評などを一束いっそくしておくのも決して無意義ではなかろう。 それを以てこの「三国志」の完結の不備をおぎない、また全篇の骨胎こったいをいささかでもまったきに近いものとしておくことは訳者の任でもあり良心でもあろうかと思われる。

以下そのつもりで読んでいただきたい。

布衣ほいの一青年孔明の初めの出現は、まさに、曹操そうそうの好敵手として起った新人のすがたであったといってよい。

曹操は一時、当時の大陸の八分までを席巻して、荊山楚水けいざんそすいことごとく彼の旗をもって埋め、

「呉の如きは、一水の長江にたのむ保守国のみ。 流亡りゅうぼうこれ事としている玄徳の如きはなおさらいうに足らない」

とは、その頃の彼が正直に抱いていた得意そのものの気概であったにちがいなかろう。

それを彗星すいせいの如く出でて突如挫折ざせつを加えたものが孔明であった。 また、着々と擡頭たいとうして来た彼の天下三分策の動向だった。

曹操が自負満々だった魏の大艦船団が、烏林うりん赤壁せきへきにやぶれて北に帰り、次いでまた、玄徳が荊州を占領したと聞いたとき、彼は何か書き物をしていたが、愕然がくぜん、耳を疑って、

「ほんとか?」

と、筆を取り落したということは、魯粛伝ろしゅくでんにも記載されているし、有名な一挿話となっているが、それをみても如何に彼が、無敵曹氏の隆運を自負しきっていたかが知れる。

しかも以後、

諸葛菜しょかつさい

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三国志 - 情報

三国志 12 篇外余録

さんごくし 12 へんがいよろく

文字数 20,540文字

著者リスト:
著者吉川 英治

底本 三国志(八)

青空情報


底本:「三国志(八)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1989(平成元)年5月11日第1刷発行
   2008(平成20)年7月1日第49刷発行
※副題には底本では、「篇外余録(へんがいよろく)」とルビがついています
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2013年7月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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