序
この一冊は戦時中に書かれました。
記してある内容は大体昭和十五年前後の日本の手仕事の現状を述べたものであります。
戦争はおそらく多くの崩壊を手仕事の上に齎らしたと思います。
それ故私がここに記録したものの中には、終戦後の今日では、既に過去のものとなったものが見出されます。
例えば沖縄の場合の如き今では想い出語りとなったものが多いでありましょう。
しかしどの地方においても、失われた幾許かのものは、必ずや起ち上る日があるに違いありません。
今は特に工藝の面で日本を樹て直さねばならぬ時に来ました。
今後手仕事の要求はいよいよ深く感じられるでありましょう。
幸か不幸か今に至ってその意義を深く省るべきよき機会が到来したと思えます。
日本は手仕事の日本を更に活かさねばなりません。
それ故この一冊は戦争直前の日本を語ったものではありますが、戦後においてかえって必要とされる案内書となるかと思われます。
仮令幾許かの部分は、現在を語り得なくなったとはいえ、追憶すべき記録として、私はそのままにして版に附します。
そうしてこの本を通し、どの地方にどんな伝統があるかを顧み、そこに根ざして新しい発足を促し得るなら、著者にとってどんなに感謝すべきことでありましょう。
終りにこの本の出版にまつわる一、二のことを書き添えます。
この本はもう三年前に書き終えて、日本出版文化協会の規定によって検閲を受けました。
今から想うと笑い草にもなりますが、幾多の言葉が不穏当だというので、修正を受けました。
例えば佐渡が島を語る時、順徳帝のことに言い及びましたら「絶対削除」と朱を加えられました。
地理を述べる時、「日本は朝鮮のような半島ではなく島国である」と記しましたら、朝鮮云々の数語は抹殺されました。
岐阜提灯には、「強さの美はないが、平和を愛する心の現れがある」と書きましたら、平和の二字は用ゆべからざるものとされました。
その他種々。
こうしてやっと検閲者の眼に穏当となった原稿は、東雲堂の手で組版にかかりました。
しかし幸か不幸か戦争はその完了を困難にしました。
そうして他に種々な事情も加わり一旦仕事は中止され、出版は新しく靖文社の手へ移されました。
かくするうちに戦争は終結し、厳しい統制は崩壊し、「文協」もまた程なく解体しました。
私は再び原稿を校訂し、多くの増補修正を施して、面目を一新する機会を得ました。
元来この本は若い青少年を目当に書いたので、なるべく平易な叙述を心掛けましたが、この種の書き方に慣れぬため、不充分な結果に終ったことを本意なく思います。
むしろ一般の人々へ常識の本として更に役立つのかと思います。
本書の意図については巻末の後記に記しました。
準備された沢山の小間絵は不幸にして戦災を受け悉く烏有に帰しました。
そのため再び芹沢
介君の手を煩わして、凡てを描き改めて貰わねばなりませんでした。
しかも前よりも一段と数多くのものが届けられました。
これらの小間絵はきっと読者の目を楽しませることと思います。
その組入れ方は必ずしも本文に該当する個所に差入れたのではありません。
ほぼ国別にして順次に挟んだものであります。
今から想えばこの本の草稿が災禍を免れて無事なるを得たのは大きな恵みでありました。
ただこれとほとんど同時に出すはずでありました更に大きな著書『民藝図録、現在篇』は、不幸にも原稿の全部が灰燼に帰しました。
長年の努力に成っただけに深い痛手でありました。
この本の最もよい参考書となるはずでありましたので、心惜しく思います。
本書の出版に関して厚誼を受けた新井直弥、南方靖一郎の両氏に、また補筆のため私に静かな室を与えられた斎藤一二君に厚い謝意を表したく思います。