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二十歳のエチュード

著者:原口統三

はたちのエチュード - はらぐち とうぞう

文字数:56,714 底本発行年:1952
著者リスト:
著者原口 統三
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序章-章なし

[#ページの左右中央]

衆人皆有以。 而我独頑似鄙。 我独異於人。 而貴食母。

――老子第二十絶学無憂章――

[#改丁]

訣別の辞に代えて

ところが今日、僕はふと「寒い」と思ったのだ。

僕はきっと夢を見て来たのに違いない。

―Etudes ※(ローマ数字1、1-13-21)

一明君

「自己の思想を表現してみることは、所詮しょせん弁解にすぎない」

右の最後の反省と共に、僕はこの小さな三つのノートを、君の手に渡そうと思う。

長い間筆を捨てて来た僕が臨終の直前まで来て、まだ一度も試みたことのないこうした感想録を作らずにおれなかったのは、やはり弱気のうじいたためだろう。 いつも罵倒していた「老耄おいぼれの繰り言」を、僕もまた実行したわけだ。 九月の二十四日から今日まで、僕は寸暇も休まずに書き殴って来た。 僕の心にはまだ書きつづけたい気があるし、これを整理して壮麗な文体で一つの作品を残したいとも思った。 けれども、改むるにはばかるなかれ。 僕は今その意図を棄てねばならない。

君に渡すとすれば、もっと綺麗に、粗雑な文体も直した上で手放したいのだが、僕にはもうその気力がないのだ。 我慢して受けてくれたまえ。

君はおぼえているだろうが、僕はよくドイツ人の悪口を言うときにこう語ったものだった。 「ゲルマン人の思考の仕方は、城廓を築いてその中に安住する」このエチュードを記した後で、僕は自分の書き方に対してこの評言を与えざるをえない。 それから、考えて見ることは、言葉を裏切った僕自分が、時にはやはり言葉で、動いたということだ。 自分の思想を裏づけようとする時には、そうなるのは当然だし、プラトンの対話篇におけるソクラテスは、常に僕らの後を追い廻している。 それにしても、僕の認識は、いつでも言葉の届かない所を歩いていたはずだ。

僕が君たちと離れて暮らした、昨年の暮れから今年の春にかけて、書き溜め、そして破り棄てた数々の詩篇や創作、自ら誇った「新しい日本語」を残すほうが、どれだけ君にとっては好いことだろうね。 しかし、白状するが、僕には再び思い出して見る元気もないのだ。 僕は疲れている。

一明君

世の中には人の言ったことばかりを覚えている者もあるし、その声の主調低音だけしか記憶に残らないような種類の脳髄もある。

表現は畢竟ひっきょう、それを受けとる人間にとって、年と共に姿を変えてゆくところの品物にすぎない。 君がもし、僕のことを覚えていてくれるのなら、時として君の螢雪の窓にも訪れてくるであろうあのマルセル・プルウストの夜に、君たちをおびやかした統さんの高笑いと、自慢の長い睫毛まつげとを思い出してくれたまえ。

別離の時とはまことにある。 僕もまた、この夜、一人の仲間を葬ったのだ。

朝が来たら、友よ、君たちは僕の名を忘れて立ち去るだろう。

昭和二十一年十月朔日

赤城山にて

序章-章なし
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二十歳のエチュード - 情報

二十歳のエチュード

はたちのエチュード

文字数 56,714文字

著者リスト:
著者原口 統三

底本 二十歳のエチュード

青空情報


底本:「二十歳のエチュード」角川文庫、角川書店
   1952(昭和27)年6月30日初版発行
   1969(昭和44)年5月30日24版発行
   1975(昭和50)年4月20日改版18版発行
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
入力:蒋龍
校正:伊藤時也
2010年9月7日作成
2011年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:二十歳のエチュード

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