桜の樹の下には
著者:梶井基次郎
さくらのきのしたには - かじい もとじろう
文字数:1,720 底本発行年:1970
桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!
これは信じていいことなんだよ。 何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。 俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。 しかしいま、やつとわかるときが来た。 桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。 これは信じていいことだ。
どうして俺が毎晩家へ帰つて来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、
一体どんな樹の花でも、
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。 俺にはその美しさがなにか信じられないもののやうな気がした。 俺は反対に不安になり、憂欝になり、空虚な気持になつた。 しかし、俺はいまやつとわかつた。
お前、この爛漫と咲き乱れてゐる桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まつてゐると想像して見るがいい。 何が俺をそんなに不安にしてゐたかがお前には納得が行くだらう。
馬のやうな屍体、犬猫のやうな屍体、そして人間のやうな屍体、屍体はみな腐爛して
何があんな花弁を作り、何があんな
――お前は何をさう苦しさうな顔をしてゐるのだ。 美しい透視術ぢやないか。 俺はいまやうやく瞳を据ゑて桜の花が見られるやうになつたのだ。 昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になつたのだ。
二三日前、俺は、ここの渓へ下りて、石の上を伝ひ歩きしてゐた。
水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふがアフロデイツトのやうに生れて来て、渓の空をめがけて舞ひ上つてゆくのが見えた。
お前も知つてゐるとほり、彼等はそこで美しい結婚をするのだ。
暫らく歩いてゐると、俺は変なものに出喰はした。
それは渓の水が乾いた
俺はそれを見たとき、胸が
この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。