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柳原燁子(白蓮)

著者:長谷川時雨

やなぎはらあきこ(びゃくれん) - はせがわ しぐれ

文字数:12,776 底本発行年:1936
著者リスト:
著者長谷川 時雨
親本: 近代美人伝
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ものの真相はなかなか小さな虫の生活でさえきわめられるものではない。 人間と人間との交渉など、どうして満足にそのすべてを見尽せよう。 到底及びもつかないことだ。

微妙な心の動きは、わが心の姿さえ、動揺のしやすくて、信実まことは書きにくいのに、今日こんにちの問題の女史ひとをどうして書けよう。 ほんの、わたしが知っている彼女の一小部分を――それとて、日常かたわらにある人の、片っぽの目が一分間見ていたよりも、知らなすぎるくらいなもので、毎朝彼女の目覚めざめ軒端のきばにとまる小雀こすずめのほうが、よっぽど起居を知っているともいえる。 ただ、わたしの強味は、おなじ時代に、おなじ空気を呼吸しているということだけだ。

火の国筑紫つくしの女王白蓮びゃくれんと、誇らかな名をよばれ、いまは、府下中野の町の、細い小路のかたわらに、低い垣根と、粗雑な建具とをもった小屋しょうおくに暮している※(「火+華」、第3水準1-87-62)あきこさんのへやは、日差しは晴やかなうちだが、垣の菊は霜にいたんで。 古くなったタオルの手拭てぬぐいが、日当りの縁に幾本か干してあるのが、妙にこの女人ひとにそぐわない感じだ。

おもやせがして、一層美をそえた大きい眼、すんなりとした鼻、小さい口、こてをあてた頭髪かみの毛が、やや細ったのもいたいたしい。 金紗きんしゃお召の一つ綿入れに、長じゅばんの袖は紫友禅のモスリン。 五つぎぬぎ、金冠をもぎとった、爵位も金権も何もない裸体になっても、離れぬ美と才と、彼女の持つものだけをもって、粛然としている。 黒い一閑張いっかんばりの机の上には、新らしい聖書が置かれてある。 仏の道に行き、哲学を求め、いままた聖書にたずねるものはなにか――やがて妙諦みょうていを得て、一切を公平に、偽りなく自叙伝に書かれたら、こんなものはらなくなる小記だ。

※(「火+華」、第3水準1-87-62)子さんは、故伯爵前光卿さきみつきょうを父とし、柳原二位のおつぼね伯母おばとして生れた、現伯爵貴族院議員柳原義光氏の妹で、生母は柳橋の芸妓だということを、ずっとのちに知ったひとだ。 夜会ばやり、舞踏ばやりの鹿鳴館ろくめいかん時代、明治十八年に生れた。 晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所おおごしょ古稀庵こきあん老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県のやり踊りの名さえ残した時代、上流の俊髦しゅんぼう前光卿は沐猴もくこうかんしたのは違う大宮人おおみやびとの、温雅優麗な貴公子を父として、昔ならばきさきがねともなりる藤原氏の姫君に、歌人としての才能をもって生れてきた。

実家だと思っていたほど、可愛がられて育った、養家さと親のうちは、品川の漁師だった。 その家でのびのびと育って年頃のあまり違わない兄や、姉のある実家に取られてから、漁師言葉のあらくれたのも愛敬あいきょうに、愛されて、幸福に、はなやいだ生涯の来るのを待っていたが、花ならばこれから咲こうとする十六の年に、暗い運命の一歩にふみだした。 ういういしい花嫁ぎみの行く道には、祝いの花がまかれないで、のろいの手がひろげられていたのか、京都下加茂しもがもの北小路家へ迎えられるとほどもなく、男の子一人を産んで帰った。 その十六の年の日記こそ、涙のつづりの書出しであった。

芸術の神は嫉妬しっと深いものだという。 涙に裂くパンの味を知らない幸福なものにはうかがい知れない殿堂だという。

だが、※(「火+華」、第3水準1-87-62)子さんは明治四十四年の春、廿七歳のとき、伯爵母堂とともに別居していた麻布笄町こうがいちょうの別邸から、福岡の炭鉱王伊藤伝右衛門氏にとつぐまで、別段文芸に関心はもっていられなかったようだった。 竹柏園ちくはくえんに通われたこともあったようだったが、ぬきんでた詠があるとはきかなかった。 しかし、その結婚から、※(「火+華」、第3水準1-87-62)子さんという美しい女性の存在が世に知られて、物議をもかもした。 それは、伝右衛門氏が五十二歳であるということや、無学な鉱夫あがりの成金なりきんだなぞということから、胡砂こさふく異境にとついだ「王昭君おうしょうくん」のそれのように伝えられ、この結婚には、拾万円の仕度金が出たと、物質問題までがからんで、階級差別もまだはなはだしかったころなので、人身御供ひとみごくうだとまでいわれ、哀れまれたのだった。

人身売買と、親戚しんせき補助とは、似ていて違っているが、犠牲心の動きか、いられたためか、父と子のような年のちがいや醜美はともかくとして、石炭掘りから仕上げて、字は読めても書けない金持ちと、伝統と血統を誇るお公卿くげさまとの縁組みは、とつひとが若く美貌びぼうであればあるだけ、愛惜と同情とは、物語りをつくり、物質が影にあるとおもうのは余儀ないことで、それについて伯爵家からの弁明はきかなかった。

だが、そのままでは、※(「火+華」、第3水準1-87-62)子さんはありふれた家庭悲劇の女主人公になってしまう。 甘んじて強いられた犠牲となったのかどうか。 それは彼女の後日が生きて語ったではないか。

この手紙は今年の春(大正十一年)中野の隠れからうけた一節で、

只今お手紙ありがたく拝見いたしました。 実はわたくし、二、三日前からすこし気分がすぐれませんのでとこについております。 急に脈がむやみと多くなって、頭がいやあな気持ちになる、なんとも名のつけられない病気が時たま起りますので。 でも今日は大分だいぶよろしゅう御座いますから、早速御返事申上げて置こうと、床の中での乱筆よろしく御判読願い上げます。 (中略)仰せの通り世間のとかくのうわさの中にはずい分、いやなと思う事もないでも御座いませんけど、これも致方いたしかたがないなり行きだと、今までもあまり気にかけたことも御座いません。

私信の一部を公にしては悪いが、わたしの筆に幾万言をついやして現わそうとするよりも、この書簡の断片の方がどれだけ雄弁に語っているか知れない。 はじめからそういうふうに冷淡に、うわさを噂として聞流す女性はすくない。

いつぞや九条武子くじょうたけこさんと座談のおり、旅行のことからの話ついでに、

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柳原燁子(白蓮) - 情報

柳原燁子(白蓮)

やなぎはらあきこ(びゃくれん)

文字数 12,776文字

著者リスト:

底本 新編 近代美人伝 (下)

親本 近代美人伝

青空情報


底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
   1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
   1936(昭和11)年2月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年8月13日作成
2014年7月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:柳原燁子(白蓮)

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