現代訳論語
著者:下村湖人
げんだいやくろんご - しもむら こじん
文字数:121,806 底本発行年:1965
「論語」を読む人のために
東洋を知るには儒教を知らなければならない。 儒教を知るには孔子を知らなければならない。 そして孔子を知るには「論語」を知らなければならない。 「論語」は実に孔子を、従って儒教を、また従って東洋を知るための最も貴重な鍵の一つなのである。
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「論語」は、孔子の言行を主とし、それに門人たちの言葉をも加えて編纂したものであるが、すべて断片的で、各篇各章の間に、何等はっきりした脈絡や系統がなく、今日から見ると極めて雑然たる集録に過ぎない。 しかし、それだけに、編纂者の主観によってゆがめられた点は比較的少いであろう。
孔子の言葉を記したものとして、「論語」のほかに、しばしば「
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「論語」編纂の年代、ならびにその編纂者が何びとであるかは、まだ十分つまびらかにされていない。 しかし、孔子の没後いくらかの年月をへたあと、すなわち西紀前およそ四百数十年ごろ、門人の門人たちの手によって編纂されたものであることは、ほぼ確実なようである。
「論語」という書名は、孔子直接の門人たちが記録しておいたものについて、編纂者たちが、おたがいに意見を交換し、論議しつつ撰定したという意味で名付けられたものであろうと信ぜられている。
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「論語」は、秦の始皇が天下を統一した時、いわゆる焚書の厄に会った。 始皇は儒教の政治思想が自分の専制的統一国家の政治に合致しないという理由から、ちょうど独逸のヒットラーが書を焼いたのと同一の手段をとったのである。 そのため「論語」は他の書と共に一時姿を消したが、漢代にいたって再び世に出ることになった。 その時発見された「論語」に三種あった。 その第一は斉の国から発見されたもの、第二は魯の国から発見されたもの、第三は孔子廟の壁の中にぬりこめられていたものである。 それらはかなり内容をことにしていたので、それぞれ「斉論」「魯論」「古論」と呼んで区別されるようになった。 「古論」というのは、古体文字で記されていたからである。
この三種の「論語」は、発見後しばらくの間は、それぞれにそのままの内容で読まれていたが、後漢以後、彼此参酌して内容を修訂し、註解を加えるなどの努力が張侯、鄭玄、何晏等二三の学者によって払われ、宋代にいたって、それらを基にした
の「論語註疏」があらわれた。
更に儒教の大成者として有名な同代の朱熹は、「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」の四者を合して、いわゆる「四書集註」を作った。
爾来前者を「古註」と呼び、後者を「新註」と呼ぶならわしになったが、今日最も広く読まれているのは「新註」による「論語」である。
本訳もまた主として新註により、なお古註その他を参考にすることにした。
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「論語」がはじめて日本に伝来したのは応神天皇の十六年であるが、それが刊行されたのは約一千年後の後醍醐天皇の元亨二年である。 それは、その後つぎつぎに伝来した儒教の他の諸経典と共に、先ず宮廷貴族の思想と行動とに影響を与え、つぎに武家に及んだ。 そして、明治維新にいたるまでの約千五百年間に、儒教は仏教と相並んで――仏教の伝来は儒教におくれること約二百年である――国民生活を支配する最大の精神的基調をなすにいたったが、とりわけ「論語」は、階級の上下をとわず、文字を知る国民の多数に読まれるようになり、その影響力は、徳川時代以後文字を知らない国民の家庭生活や社会生活にまで及び、「論語」をはなれては、国民の道徳生活を語ることが出来ないかのような観をさえ呈するにいたったのである。
かような影響力も、しかし、明治維新後の西欧文化の伝来と共に、急激に退潮しはじめた。 そして半世紀とはたたないうちに、儒教は全面的に若き世代の多数によって敬遠され、ついで軽蔑され、最後に忘却され、現在の若き世代の間では、高等の教育をうけた者でさえ、「四書」「五経」の何であるかを知るものが稀有であり、「論語」のごときも、わずかにその名が知られているだけで、専門の学徒以外に進んでその内容を知ろうとする欲望をおこすものは、絶無に近い状態である。
かような急激な退潮、――約千五百年間に亘って高潮しつづけて来たものが、百年とはたたないうちに底を見せるほどのかような急激な退潮が、果して何に起因するかについては、ここではふれない。 今はただ、それが、よかれあしかれ、まぎれもない事実であるということだけを認識するにとどめておきたい。
しかし、この事実を認識するについて、忘れてならないことがある。 それは、そうした急激な退潮は、主として国民意識の表面において行われたことであって、必ずしも生活の事実においてではないということである。 むろん意識の表面にあらわれる変化が、生活の事実に何の変化も及ぼさないということは全くあり得ないことで、その意味で、明治以後の国民生活から、儒教的なものがかなりの退潮を示していることはもちろんである。 しかし、それは決して意識の表面においてのように底を見せるほど甚しいものではなかった。 いや、もっと適切にいうと、底は見せながら、その底にしみとおった儒教的なしめり気が、今もなお国民生活の根をうるおしており、そしてそのしめり気は、次第に眼には見えなくなるかも知れないが、容易に蒸発してしまいそうには思えないのである。
「論語」を読む人のために
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現代訳論語 - 情報
青空情報
底本:「下村湖人全集 第五巻」池田書店
1965(昭和40)年5月15日発行
※「參」と「参」、「參照」と「参照」、「万事」と「萬事」、「帯びた」と「帶びた」、「野蛮」と「野蠻」、「禮楽」と「礼楽」、「晋」と「晉」、「萬一」と「万一」、「昼寝」と「晝寝」、「回」と「囘」、「民謡」と「民謠」、「祝[#「魚+它」、U+9B80、288-下-8]」と「祝駝」、「鄭」と「[#「猶のつくり+おおざと」、U+2871F、374-上-2]」、「大司冦」と「大司冠」、「礼」と「禮」、「乗」と「乘」、「糸」と「絲」、「焼」と「燒」、「台」と「臺」、「隠」と「隱」、「栄」と「榮」、「予」と「豫」、「双」と「雙」、「偽」と「僞」の混在は、底本通りです。
※各章の終りの語句の註解、訳者の簡単な所見、感想等の拗音、促音の大書きは、底本通りですが、ルビの拗音、促音は、小書きしました。
※なお各章本文の拗音、促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。
入力:tatsuki
校正:酒井和郎
2016年5月1日作成
2021年10月11日修正
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