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神鑿

著者:泉鏡太郎

しんさく - いずみ きょうか

文字数:64,430 底本発行年:1909
著者リスト:
著者泉 鏡花
著者泉 鏡太郎
親本: 神鑿
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朱鷺船ときふね

濡色ぬれいろふくんだあけぼのかすみなかから、姿すがたふりもしつとりとしたをんなかたに、片手かたて引担ひつかつぐやうにして、一人ひとり青年わかものがとぼ/\とあらはれた。

いろ真蒼まつさをで、血走ちばしり、びたかみひたひかゝつて、冠物かぶりものなしに、埃塗ほこりまみれの薄汚うすよごれた、処々ところ/″\ボタンちぎれた背広せびろて、くつ足袋たびもない素跣足すはだしで、歩行あるくのに蹌踉々々よろ/\する。

それをんなたすいたところは、夜一夜よひとよ辿々たど/\しく、山路野道やまみちのみちいばらなか※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)さまよつた落人おちうどに、しらんだやうでもあるし、生命懸いのちがけ喧嘩けんくわからあはたゞしく抜出ぬけだしたのが、せいきて疲果つかれはてたものらしくもある。 が、道行みちゆきにしろ、喧嘩けんくわにしろ、ところが、げるにもしのんでるにも、背後うしろに、むらさと松並木まつなみきなはていへるのではない。 やまくづして、みねあましたさまに、むかし城趾しろあと天守てんしゆだけのこつたのが、つばさひろげて、わし中空なかぞらかけるか、とくもやぶつて胸毛むなげしろい。 おなたかさにいたゞきならべて、遠近をちこちみねが、東雲しのゝめうごきはじめるかすみうへたゞよつて、水紅色ときいろ薄紫うすむらさき相累あひかさなり、浅黄あさぎ紺青こんじやう対向むかひあふ、かすかなかゆきかついで、明星みやうじやう余波なごりごと晃々きら/\かゞやくのがある。 ……山中さんちゆうを、たれ喧嘩けんくわして、何処どこから駆落かけおちしてやう? ……

をんなは、とふと、引担ひつかつがれたそでにくるまつて、りや、しや、片手かたてもふら/\とさがつて、なに便たよるともえず。 らふ白粉おしろいした、ほとんいろのないかほ真向まむきに、ぱつちりとした二重瞼ふたへまぶた黒目勝くろめがちなのを一杯いつぱい※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらいて、またゝきもしないまで。 してをとこみゝと、びんと、すれ/\にかほならべた、一方いつぱう小造こづくりはうではないから、をんな随分ずいぶんたかい。

うかとおもへば、おびからしたは、げつそりとふううすく、すそしまつたが、ふうわりとしてちからはいらぬ。 かゝといて、う、うへかつげられてさうな様子やうす

二人ふたりとも、それで、やがてひざうへあたりまで、みだれかゝつた枯蘆かれあしおほはれたうへを、またしたかすみかくす。

もつとみちのないところ辿たどるのではなかつた。 背後うしろに、覚果さめはてぬあかつきゆめまぼろしのこつたやうに、そびへた天守てんしゆ真表まおもて 差懸さしかゝつたのは大手道おほてみちで、垂々下だら/\おりの右左みぎひだりは、なかうもれたほりである。

空濠からぼりふではない、が、天守てんしゆむかつた大手おほてあとの、左右さいうつらなる石垣いしがきこそまだたかいが、きしあさく、段々だん/\うもれて、土堤どてけてみちつゝむまであしもりをなして生茂おひしげる。 しかも、かまとこしへれぬところをりから枯葉かれはなかいて、どんよりとかすみけたみづいろは、つて、さま/″\の姿すがたつて、それからそれへ、ふわ/\とあそびにる、いたところの、あの陽炎かげらふが、こゝにたむろしたやうである。

あしがくれの大手おほてを、をんなけて、微吹そよふ朝風あさかぜにもらるゝ風情ふぜいで、をとこふらつくとゝもにふらついてりてた。 ……しこれでこゑがないと、男女ふたり陽炎かげらふあらはす、最初さいしよ姿すがたであらうもれぬ。

が、青年わかもの息切いきゞれのするこゑで、ものいふのをけ。

るなんて、……るなんて、うしたんだらう。 真個まつたくいて自分じぶんでもおどろいた。 しらんでたもの。 何時いつけたかちつともらん。 まへまたなんだ、つてゞもゆすぶつてゞもおこせばいのに――しかしつかれた、わたし非常ひじやうつかれてる。 まへわかれてから以来このかた、まるで一目ひとめないんだから。 ……」

とせい/\、かたゆすぶると、ひゞきか、ふるへながら、をんな真黒まつくろかみなかに、大理石だいりせきのやうなしろかほ押据おしすえて、前途ゆくさきたゞじつみまもる。

かんがへると、くあんななかられたものだ。」

をとこなかつぶやくやうに、

つてればてきなかだ。 てきなかで、けるのをらなかつたのはじつ自分じぶんながら度胸どきやうい。 ……いや、うではない、一時いちじんだかもわからん。

うだ、んだとへば、生死いきしにわからなかつた、おまへ無事ぶじかほうれしさに、張詰はりつめたゆるんで落胆がつかりして、それきりつたんだ。 さぞまへは、ちにつたわたしふものが、まへえるかえないに、だらしなく、ぐつたりとつてしまつて、どんなにか、たのみがひがないとうらんだらう。

真個まつたく安心あんしんあま気絶きぜつしたんだと断念あきらめて、ゆるしてくれ。

朱鷺船ときふね

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神鑿 - 情報

神鑿

しんさく

文字数 64,430文字

著者リスト:
著者泉 鏡花
著者泉 鏡太郎

底本 新編 泉鏡花集 第八巻

親本 神鑿

青空情報


底本:「新編 泉鏡花集 第八巻」岩波書店
   2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「神鑿」文泉堂書房
   1909(明治42)年9月16日
初出:「神鑿」文泉堂書房
   1909(明治42)年9月16日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「をんせん」と「おんせん」、「城趾」と「城址」、「鎗(やり)ヶ嶽(だけ)」と「槍(やり)ヶ嶽(だけ)」の混在は底本の通りです。
※「魚」に対するルビの「うを」と「いを」、「水底」に対するルビの「みずそこ」と「みづそこ」、「灰」に対するルビの「はひ」と「はい」、「烏帽子」に対するルビの「えばうし」と「えぼうし」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「神鑿(しんさく)」となっています。
※初出時の署名は「鏡花小史」です。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年8月12日作成
2016年2月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:神鑿

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