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高野聖

著者:泉鏡太郎

こうやひじり - いずみ きょうか

文字数:34,702 底本発行年:1908
著者リスト:
著者泉 鏡花
著者泉 鏡太郎
親本: 高野聖
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第一

参謀本部さんぼうほんぶ編纂へんさん地図ちづまた繰開くりひらいてるでもなからう、とおもつたけれども、あまりのみちぢやから、さはるさへあつくるしい、たび法衣ころもそでをかゝげて、表紙へうしけた折本をりほんになつてるのを引張ひつぱした。

飛騨ひだから信州しんしうえる深山しんざん間道かんだうで、丁度ちやうど立休たちやすらはうといふ一本いつぽん樹立こだちい、みぎひだりやまばかりぢや、ばすととゞきさうなみねがあると、みねみねいたゞきかぶさつて、とりえず、くもかたちえぬ。

みちそらとのあひだたゞ一人ひとりわしばかり、およ正午しやうごおぼしい極熱ごくねつ太陽たいやういろしろいほどにかへつた光線くわうせんを、深々ふか/″\いたゞいた一重ひとへ檜笠ひのきがさしのいで、図面づめんた。」

旅僧たびそうういつて、握拳にぎりこぶし両方りやうはうまくらせ、それひたひさゝへながら俯向うつむいた。

道連みちづれになつた上人しやうにんは、名古屋なごやから越前えちぜん敦賀つるが旅籠屋はたごやて、いましがたまくらいたときまで、わたしつてるかぎあま仰向あふむけになつたことのない、つま傲然がうぜんとしてものないたち人物じんぶつである。

一体いつたい東海道とうかいだう掛川かけがは宿しゆくからおなじ汽車きしやんだとおぼえてる、腰掛こしかけすみかうべれて、死灰しくわいごとひかへたから別段べつだんにもまらなかつた。

尾張をはり停車場ステーシヨン乗組員のりくみゐん言合いひあはせたやうに、不残のこらずりたので、はこなかにはたゞ上人しやうにんわたし二人ふたりになつた。

汽車きしや新橋しんばし昨夜さくや九時半くじはんつて、今夕こんせき敦賀つるがはいらうといふ、名古屋なごやでは正午ひるだつたから、めし一折ひとをりすしかつた。 旅僧たびそうわたしおなじすしもとめたのであるが、ふたけると、ばら/\と海苔のりかゝつた、五目飯ちらし下等かとうなので。

(やあ、人参にんじん干瓢かんぺうばかりだ、)と踈匆そゝツかしく絶叫ぜつけうした、わたしかほ旅僧たびそうこらねたものとえる、吃々くつ/\わらした、もとより二人ふたりばかりなり、知己ちかづきにはそれからつたのだが、けばこれから越前ゑちぜんつて、ちがふが永平寺えいへいじたづねるものがある、たゞ敦賀つるが一泊いつぱくとのこと。

若狭わかさ帰省きせいするわたしもおなじところとまらねばならないのであるから、其処そこ同行どうかう約束やくそく出来できた。

かれ高野山かうやさんせきくものだといつた、年配ねんぱい四十五六しじふごろく柔和にうわな、何等なんらえぬ、可懐なつかしい、おとなしやかな風采とりなりで、羅紗らしや角袖かくそで外套ぐわいたうて、しろのふらんねるの襟巻えりまきめ、土耳古形とるこがたばうかむり、毛糸けいと手袋てぶくろめ、白足袋しろたびに、日和下駄ひよりげたで、一見いつけん僧侶そうりよよりはなか宗匠そうしやうといふものに、それよりもむしぞく

(おとまりは何方どちらぢやな、)といつてかれたから、わたし一人旅ひとりたび旅宿りよしゆくつまらなさを、染々しみ/″\歎息たんそくした、第一だいいちぼんつて女中ぢよちう坐睡ゐねむりをする、番頭ばんとう空世辞そらせじをいふ、廊下らうか歩行あるくとじろ/\をつける、なによりもつとがたいのは晩飯ばんめし支度したくむと、たちまあかり行燈あんどうへて、薄暗うすぐらところでおやすみなさいと命令めいれいされるが、わたしけるまでることが出来できないから、其間そのあひだ心持こゝろもちといつたらない、こと此頃このごろながし、東京とうきやうときから一晩ひとばんとまりになつてならないくらゐ差支さしつかへがなくば御僧おんそう御一所ごいつしよに。

こゝろようなづいて、北陸地方ほくりくちはう行脚あんぎやせつはいつでもつゑやすめる香取屋かとりやといふのがある、もと一軒いつけん旅店りよてんであつたが、一人女ひとりむすめ評判ひやうばんなのがなくなつてからは看板かんばんはづした、けれどもむかしから懇意こんいものことはらずとめて、老人夫婦としよりふうふ内端うちは世話せわをしてれる、よろしくばそれへ。 其代そのかはりといひかけて、をりしたいて、

御馳走ごちそう人参にんじん干瓢かんぺうばかりぢや。)

呵々から/\と笑つた、慎深つゝしみふかさうな打見うちみよりはかるい。

第二

岐阜ぎふでは蒼空あをそらえたけれども、あとにし北国空ほくこくぞら米原まいばら長浜ながはま薄曇うすぐもりかすかして、さむさがみるとおもつたが、やなではあめ汽車きしやまどくらくなるにしたがふて、しろいものがちら/\まじつてた。

ゆきですよ。)

やうぢやな。)といつたばかりでべつめず、あふいでそらやうともしない、此時このときかぎらず、しづたけが、といつて古戦場こせんぢやうしたときも、琵琶湖びはこ風景ふうけいかたつたときも、旅僧たびそうたゞうなづいたばかりである。

敦賀つるが悚毛おぞけつほどわづらはしいのは宿引やどひき悪弊あくへいで、其日そのひしたるごとく、汽車きしやりると停車場ステーシヨン出口でぐちから町端まちはなへかけてまねきの提灯ちやうちん印傘しるしかさつゝみきづき、潜抜くゞりぬけるすきもあらなく旅人たびびと取囲とりかこんで、かまびすしくおの家号やがう呼立よびたてる、なかにもはげしいのは、素早すばや手荷物てにもつ引手繰ひツたぐつて、へい有難ありがたさまで、をくらはす、頭痛持づゝうもちのぼるほどこられないのが、れいしたいて悠々いう/\小取廻ことりまはし通抜とほりぬける旅僧たびそうは、たれそでかなかつたから、さいはひ其後そのあといてまちはいつて、ほツといふいきいた。

ゆき小止をやみなく、いまあめまじらずかわいたかるいのがさら/\とおもち、よひながらもんとざした敦賀つるがまちはひつそりして一すぢすぢ縦横たてよこに、つじかど広々ひろ/″\と、しろつもつたなかを、みちほどちやうばかりで、ある軒下のきした辿たどいたのが名指なざし香取屋かとりや

とこにも座敷ざしきにもかざりといつてはいが、柱立はしらだち見事みごとな、たゝみかたい、おほいなる、自在鍵じざいかぎこひうろこ黄金造こがねづくりであるかとおもはるるつやつた、ばらしいへツつひを二ツならべて一斗飯とうめしけさうな目覚めざましいかまかゝつた古家ふるいへで。

亭主ていしゆ法然天窓はふねんあたま木綿もめん筒袖つゝそでなか両手りやうてさきすくまして、火鉢ひばちまへでもさぬ、ぬうとした親仁おやぢ女房にようばうはう愛嬌あいけうのある、一寸ちよいと世辞せじばあさん、くだん人参にんじん干瓢かんぺうはなし旅僧たびそう打出うちだすと、莞爾々々にこ/\わらひながら、縮緬雑魚ちりめんざこと、かれい干物ひものと、とろろ昆布こぶ味噌汁みそしるとでぜんした、もの言振いひぶり取做とりなしなんど、如何いかにも、上人しやうにんとは別懇べつこんあひだえて、つれわたし居心ゐごゝろさとつたらない。

やがて二かい寐床ねどここしらへてくれた、天井てんじやうひくいが、うつばり丸太まるた二抱ふたかゝへもあらう、むねからなゝめわたつて座敷ざしきはてひさしところでは天窓あたまつかへさうになつてる、巌丈がんぢやう屋造やづくりこれならうらやまから雪頽なだれてもびくともせぬ。

こと炬燵こたつ出来できたからわたしそのまゝうれしくはいつた。 寐床ねどこう一くみ同一おなじ炬燵こたついてあつたが、旅僧たびそうこれにはきたらず、よこまくらならべて、のない臥床ねどこた。

とき上人しやうにんおびかぬ、勿論もちろん衣服きものがぬ、たまゝまるくなつて俯向形うつむきなりこしからすつぽりとはいつて、かた夜具やぐそでけるといてかしこまつた、様子やうす我々われ/\反対はんたいで、かほまくらをするのである。 ほどなく寂然ひつそりとしてきさうだから、汽車きしやなかでもくれ/″\いつたのは此処こゝのこと、わたしけるまでることが出来できない、あはれとおもつてしばらくつきあつて、して諸国しよこく行脚あんぎやなすつたうちのおもしろいはなしをといつて打解うちとけておさならしくねだつた。

すると上人しやうにんうなづいて、わし中年ちうねんから仰向あふむけにまくらかぬのがくせで、るにも此儘このまゝではあるけれどもだなか/\えてる、きふ寐着ねつかれないのはお前様まへさま同一おんなしであらう。 出家しゆつけのいふことでも、おしへだの、いましめだの、説法せつぱふとばかりはかぎらぬ、わかいの、かつしやい、といつかたした。 あとくと宗門しうもん名誉めいよ説教師せつけうしで、六明寺りくみんじ宗朝しうてうといふ大和尚だいおしやうであつたさうな。

第三

いま一人ひとり此処こゝるさうぢやが、お前様まへさま同国どうこくぢやの、若狭わかさもの塗物ぬりもの旅商人たびあきうど いやをとこなぞはわかいが感心かんしん実体じつていをとこ

わしいまはなし序開じよびらきをした飛騨ひだ山越やまごえつたときの、ふもと茶屋ちやゝで一しよになつた富山とやま売薬ばいやくといふやつあ、けたいのわるい、ねぢ/\したいや壮佼わかいもので。

づこれからたうげかゝらうといふの、朝早あさはやく、もつとせんとまりはものゝ三ぐらゐにはつてたので、すゞしうちに六ばかり、茶屋ちやゝまでのしたのぢやが、朝晴あさばれでぢり/\あついわ。

慾張抜よくばりぬいて大急おほいそぎであるいたからのどかはいて為様しやうがあるまい早速さつそくちやのまうとおもふたが、まだいてらぬといふ。

第一

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高野聖 - 情報

高野聖

こうやひじり

文字数 34,702文字

著者リスト:
著者泉 鏡花
著者泉 鏡太郎

底本 新編 泉鏡花集 第八巻

親本 高野聖

青空情報


底本:「新編 泉鏡花集 第八巻」岩波書店
   2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「高野聖」左久良書房
   1908(明治41)年2月20日
初出:「新小説 第五年第三巻」春陽堂
   1900(明治33)年2月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「高野聖(かうやひじり)」となっています。
※初出時の署名は「鏡花小史」です。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年2月12日作成
2016年2月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:高野聖

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