努力論
著者:幸田露伴
どりょくろん - こうだ ろはん
文字数:164,281 底本発行年:1940
自序
努力は一である。
併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。
一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。
間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。
直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。
人はやゝもすれば努力の無效に終ることを訴へて嗟歎するもある。
然れど努力は功の有と無とによつて、之を敢てすべきや否やを判ずべきでは無い。
努力といふことが人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから努力す可きなのである。
そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、おのづからにして存して居るのである。
ただ時あつて努力の生ずる果が佳良ならざることもある。
それは努力の方向が惡いからであるか、然らざれば間接の努力が缺けて、直接の努力のみが用ひらるゝ爲である。
無理な
併し努力を喜ばぬ傾の人に存することを否定することは出來ぬ。
將に睡らんとする人と漸く死せんとする人とは、直接の努力をも間接の努力をも喜ばぬ。
それは燃ゆべき石炭が無くなつて、火が
を擧げることを辭退して居るのである。
努力は好い。 併し人が努力するといふことは、人としては猶不純である。 自己に服せざるものが何處かに存するのを感じて居て、そして鐡鞭を以て之を威壓しながら事に從うて居るの景象がある。
努力して居る、若くは努力せんとして居る、といふことを忘れて居て、そして我が爲せることがおのづからなる努力であつて欲しい。 さう有つたらそれは努力の眞諦であり、醍醐味である。
此の册の中、運命と人力と、自己革新論、幸福三説、修學の四標的、凡庸の資質と卓絶の事功と、接物宜從厚、四季と一身と、疾病説、以上數篇は明治四十三年より四十四年に於て成功雜誌の上に、着手の處、努力の堆積二篇は同じ頃の他の雜誌に、靜光動光は四十一年成功雜誌に、進潮退潮、説氣山下語は此の書の刊に際して草したのである。 努力に關することが多いから、此の書を努力論と名づけた。
努力して努力する、それは眞のよいものでは無い。
自序
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努力論 - 情報
青空情報
底本:「努力論」岩波文庫、岩波書店
1940(昭和15)年2月16日第1刷発行
1982(昭和57)年11月10日第4刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本の「口+煕」に、U+21071をあてました。(Unihan Databaseのグリフは、「口+熙」です。)
入力:岡村和彦
校正:大沢たかお
2011年3月8日作成
2011年7月17日修正
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青空文庫:努力論