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臨時急行列車の紛失

原題:THE LOST SPECIAL

著者:コナン・ドイル

りんじきゅうこうれっしゃのふんしつ

文字数:14,345 底本発行年:2001
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はしがき

死刑を宣告されて今マルセイユ監獄に繋がれているヘルバルト・ドゥ・レルナークの告白は、私の信ずるところでは、どこの国の犯罪史をひもといてみても、絶対的に先例が無かっただろう‥‥‥と思われるような、あの異常な事件の上にようやく一道の光明を投げあたえた。 官辺では、この事件を論ずることを明らかに避けているけれど、そして新聞もそれに調子を合せてほとんど沈黙を守っているけれど、とにかく我々は、この大犯罪者の告白によって、一つの驚嘆すべき事件の謎が解かれたものと見なければならない。 その事件とは、今から八年も前に起った出来事でもあり、かつ、当時はある外交上の危機がわが英国民の注意を一せいに呼集めていたときだったため、事件の重大な割合には、人々に感動を与えることが薄かったという事情もあるので、従って、記者がその事件について、集めた材料から知り得た限りの確実さをもって、ここにその顛末を述べるのも無駄ではないと信ずる次第だ。

千九百――年。 それは六月三日のことだった。 一人の旅客が――ルイ・カラタール氏という仏蘭西フランス名の紳士――リヴァプール港にある倫敦ロンドン西海岸線中央停車場の駅長ジェームス・ブランド氏に面会を求めた。 旅客は小柄な中年の紳士で、その妙に猫脊のところが、見るからに脊髄骨の不具であることを物語っていた。 その紳士にはひとりの連れがあった。 それは骨組のがっしりした堂々たる男だった。 が、その男のいかにもうやうやしげな態度と、絶えずあたりに眼をくばっている様子とで、彼が紳士の従者であることが読まれた。 こころもち黒みがかった皮膚の色合では、おそらくスペイン人か南アメリカ人だろうと想像された。 見れば、そこには一つの不思議なことがあった。 小型の黒革製の文書袋をこの男が左手ゆんでに携えていたのだ、そして、それは居合せた一人の事務員の鋭い観察眼によると、革紐で自分の手頸てくびにしっかりと結びつけられてあったのだ。 この事実は、その時には決して重大なことには見えなかった。 が、やがて展開されるべき未曾有の出来事は、そのうちにきわめて深長な意義を持っていたのであった。 カラタール氏は駅長室に案内された。 その間この供の男は室の外に待っていた。

カラタール氏は今日の午後、中部亜米利加アメリカから入港したばかりであるが、緊急な事件が突発したため、一分も猶予することなく至急巴里パリーまで帰らなければならなくなった。 ところが彼は倫敦ロンドン行の急行に乗遅れてしまったのだ。 そこで臨時急行列車を仕立てさせて飛んで行くほかはない。 金は問題ではない、時間こそすべてである――と云った。

駅長のブランド氏は電鈴ベルを押して運輸課長のポッター・フード氏を呼んだ。 そして五分間内に手筈をことごとく整えさせた。 別仕立の列車は四十五分以内に出発させることが出来る。 前路の障害なきを期するため、それだけの時間は絶対的に必要なのだ。 二輌の客車が、後部に車掌乗用車を添えて、強力な機関車に牽引されることになった。 第一の客車は、単に振動を少なくする目的のために着けられた。 第二の客車は、例によって、一等室と一等喫煙室、二等室と二等喫煙室という四室に区劃くぎられていた。 その機関車に近い方の第一室が、二人の旅客のために用意された客車で、他の三室は空だった。 車掌としてジェームス・マックファースンが、火夫としてはウィリアム・スミスがそれぞれ乗込むことになった。

カラタール氏は、一マイルについて五シルリングという規定の特別乗車賃の割合で、総額五十ポンドシルリングを支払うが早いか、あくあくしながら、例の連れの男を促して、まだ三十分はたっぷり間があろうというに、はや仕立てられた客車に乗込んで定めの室に席を占めた。

ところがカラタール氏が駅長室から出て行ったのと、ほとんど入替いれかわりに、ホレース・ムーアと名のる一見軍人風の紳士が慌ててそこへ入って来た。 彼は倫敦ロンドンにいる自分の妻が危篤のために、上京するべく今は一瞬間も失ってはならないというのだ。 奇妙な偶然である。 真に偶然である。 その紳士の心配そうな顔を見ては、駅長も心から出来るだけの便宜をはかってやりたいと思った。 といって、更に第二の特別列車を仕立ることは、もちろん問題にならなかった。 そこには、しかし、ただ一つのえらぶべき方法がある。

はしがき

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臨時急行列車の紛失 - 情報

臨時急行列車の紛失

りんじきゅうこうれっしゃのふんしつ

文字数 14,345文字

著者リスト:

底本 「新青年」復刻版 大正10年(第2巻)合本2

青空情報


底本:「「新青年」復刻版 大正10年(第2巻)合本2」本の友社
   2001(平成13)年1月10日復刻版第1刷発行
初出:「新青年 第二卷 第四號」博文館
   1921(大正10)年3月13日印刷納本
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或、或る→ある 如何→いか 何れ→いずれ 一層→いっそう 於て→おいて 於ける→おける 恐らく→おそらく 居る→おる 拘らず→かかわらず 斯く→かく 且つ→かつ 曽て→かつて 可成り→かなり 兼ね→かね 此→こ 斯う→こう 悉く→ことごとく 之→これ 然→しか 而→しか 併→しか直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 凡て→すべて 其→そ 唯→ただ 唯今→ただいま 忽ち→たちまち 多分→たぶん 為め→ため 就て→ついて て居→てお て置→てお て見→てみ 何処→どこ 猶→なお 乍ら→ながら 成程→なるほど 筈→はず 甚だ→はなはだ 程→ほど 殆ど→ほとんど 正に→まさに 先ず→まず 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 若し→もし 以て→もって 勿論→もちろん」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
※底本中、混在している「セント・ヘレンス」「セント・ヘレン」、「ヘルバート」「ヘルバルト」はそのままにしました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年11月4日作成
2011年4月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:臨時急行列車の紛失

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