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阿Q正伝

著者:魯迅

あキューせいでん - ろじん

文字数:33,902 底本発行年:1932
著者リスト:
著者魯迅
翻訳者井上 紅梅
底本: 魯迅全集
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第一章 序

わたしは阿Qあキューの正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。 けれども作ろうとしながらまた考えなおした。 これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。 従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。 つまり誰某たれそれは誰某にって伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。 そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。

それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。 第一は文章の名目であった。 孔子様の被仰おっしゃるには「名前が正しくないと話が脱線する」と。 これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん蒼蝿うるさいほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。

列伝としてみたらどうだろう。 この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。 自伝とすればどうだろう。 わたしは決して阿Qその物でない。 外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。 しからば別伝としたらどうだろう。 阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣付せんぷして本伝を立てたことがまだ一度もない。 ――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。 しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。 そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。 彼の子孫にお辞儀されたこともない。 小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に大伝たいでんというものがない。 煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の著想ちゃくそうからいうと文体が下卑ていて「車を引いて漿のりを売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。 そこで三教九流の数にらない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。 すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、文字もんじの上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。

第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。 一度彼はちょうと名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。

それは趙太爺だんなの息子が秀才になった時の事であった。 阿Qはちょうど二碗の黄酒うわんちゅを飲み干して足踏み手振りして言った。 これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく穿鑿せんさくすると、彼は秀才よりも目上だと語った。 この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。 ところが二日目には村役人が阿Qをびに来て趙家に連れて行った。 趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう真赤まっかにして怒鳴った。

「阿Q! キサマは何とぬかした。 お前が乃公おれの御本家か。 たわけめ」

阿Qは黙っていた。

趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「出鱈目でたらめもいい加減にしろ。 お前のような奴が一家にあるわけがない。

第一章 序

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阿Q正伝 - 情報

阿Q正伝

あキューせいでん

文字数 33,902文字

著者リスト:
著者魯迅
翻訳者井上 紅梅

底本 魯迅全集

青空情報


底本:「魯迅全集」改造社
   1932年(昭和7年)11月18日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「彼奴→あいつ 或→ある 或は→あるいは 些か・聊か→いささか 一層→いっそう 一旦→いったん 愈々→いよいよ 所謂→いわゆる 於いて→おいて 大方→おおかた 却・反って→かえって か知ら→かしら 且つ→かつ 曾て→かつて 可成り→かなり 屹度→きっと 位→くらい 此奴→こいつ 極く→ごく 極々→ごくごく 此処→ここ 此の→この 此処→ここ 之→これ 偖て→さて 宛ら→さながら 併し→しかし 而も→しかも 然らば→しからば 従って→したがって 暫く→しばらく 仕舞う→しまう 随分→ずいぶん 頗る→すこぶる 即ち→すなわち 折角→せっかく 是非とも→ぜひとも 其→その 大分→だいぶ・だいぶん 沢山→たくさん 丈け→だけ 唯・只→ただ 但し→ただし 忽ち→たちまち 例如ば→たとえば 給え→たまえ 為→ため 丁度→ちょうど 一寸→ちょっと 就いて→ついて 詰り→つまり て置→てお て呉れ→てくれ て見→てみ て貰→てもら 何処→どこ 兎に角→とにかく 尚お・猶お→なお 猶更→なおさら 中々→なかなか 許り→ばかり 筈→はず 甚だ→はなはだ 程→ほど 殆んど・幾んど→ほとんど 正に→まさに 況して→まして 先ず→まず 又・亦→また 未だ→まだ 儘→まま 丸切り→まるきり 丸で→まるで 若し→もし 勿論→もちろん 尤も→もっとも 矢張り→やはり 已むを得ず→やむをえず 漸く→ようやく 余ッ程→よッぽど 余程→よほど 俺→わし」
ただし、一部のカタカナ表記については、あらためていません。
※底本に混在している「灯」「燈」はそのままにしました。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(山本貴之)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年8月22日作成
2018年7月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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