支那人間に於ける食人肉の風習
著者:桑原隲藏
しなじんかんにおけるしょくじんにくのふうしゅう - くわばら じつぞう
文字数:39,636 底本発行年:1968
緒言
一國の歴史を闡明するには、その一國の記録だけでは不足を免れぬ。
是非その國と關係深き他國の記録をも、比較參考する必要がある。
支那歴史の研究者としては、支那本國の史料の外に、日本、朝鮮、安南等の記録を參考するは勿論、遠く西域諸國の記録をも利用せなければならぬ。
兩漢以來、支那の國威が四表に張ると共に、その國情が次第にキリスト教國や、マホメット教國の間に傳はり、又此等遠西の諸國民も極東に觀光して、その見聞を公にした。
此等の見聞録の中には支那の風俗世態等に關して、往々本國の記録に見當らぬ貴重な材料を供給するものも尠くない。
極東に關係あるギリシア、ラテンの記録は、略 Coed
s 氏の Textes d'Auteurs Grecs et Latins relatifs
L'Extr
me-Orient に備はり、マホメット教徒の記録――その地理に關係ある部分を主としてあるが――は、大體 Ferrand 氏の Relations de Voyages et Textes g
ographiques Arabes, Persans et Turks relatifs a L'Extr
me-Orient に纏められてある。
ギリシア、ラテンの記録は、しばらく措き、マホメット教徒のそれは中々價値が多い。
數あるマホメット教徒の記録の中で、その内容の豐かなる點より觀ても、將た又その年代の古き點より觀ても、所謂『印度支那物語』を第一に推さねばならぬ。
この物語は前後の二篇に分かれ、前篇は Solayman の記録で、後篇は Ab
Zayd のそれである。
Solayman は東洋貿易商で、親しく支那に出掛けてその風俗人情を視察した。
彼の記録は彼自身に執筆したものでなく、多分彼の見聞を材料として、他の無名の作者が筆録したものと想はれるが、兔に角ヘヂラ暦二三七年即ち西暦八五一年に出來たことは疑を容れぬ。
Ab
Zayd は S
r
f の産で、彼自身支那の地を踏まぬけれど、當時 S
r
f はペルシア灣頭第一の貿易港として、東洋貿易に從事する商賈の出入頻繁であつたから、彼は此等の商賈に就いて傳聞せる所を筆録したもので、ヘヂラ暦三〇三年、即ち西暦九一六年頃の作と認められて居る。
要するに『印度支那物語』は、大體に於て西暦九世紀、即ち唐の後半期に於ける、支那人の風俗習慣を知るべき、尤も有益なる尤も面白き材料である。
『印度支那物語』のアラブ語原本は、今日パリの國民文庫に現存して居る。
この原本の來歴は、委細は Reinaud の著書(Relation des Voyages etc. Tome I, pp. iii-vi)に載せてあるから、態
ここに紹介する必要がない。
この物語は今日まで尠くとも左の如く三度歐洲語に譯出された。
(一) 西暦一七一八年に、フランスの Renaudot が初めて之を佛語に飜譯した。
その表題を Anciennes Relations de l'Inde et de la Chine de deux Voyageurs Mahometans qui y all
rent dans le IXi
me[#「ie`me」は上付き小文字] si
cle といふ。
彼は同時にその本文に對して若干の註解を加へた。
Renaudot の佛譯は間もなく一七三三年に英譯せられ、その英譯は更に明治四十三年(西暦一九一〇)に我が東京で飜刻された。
東京版の英譯は間々誤植がある。
吾が輩は Renaudot 佛譯を有せぬ。
また一七三三年版の英譯も左右に備付けてない。
故に已むをえず東京版の英譯を使用して居る。
その後本論文のほぼ脱稿する頃に、岩崎家の東洋文庫の好意により Renaudot の佛譯及びその一七三三年版の英譯を借覽することが出來た。
併し東京版の英譯の方が、我が學界に普及して居るであらうといふ斟酌もあり、旁
本論文中に引用せる Renaudot 譯は、すべて東京版の英譯の頁數を指示することにした。
尚ほ東洋文庫から以上の外、三四の著者、雜誌、論文の融通を受け、尠からざる裨益を得た。
茲に附記して感謝の意を表する。
(二) 西暦一八四五年に、フランスの有名なるアラブ學者の Reinaud が、アラブ語の原本に添へて、新にその佛譯を公にした。
Relation des Voyages faits par les Arabes et les Persans dans l'Inde et
la Chine dans le IXe si
cle de l'
re chr
tienne が、この新佛譯の表題である。
Reinaud はこの物語の序論として、中世に於けるアラブ人の東洋貿易界に於ける活躍の歴史を附し、又その本文に對して尠からざる註解を施した。
(三) 一昨年(西暦一九二二)の末に、同じくフランスの Ferrand 氏が、『東洋古典叢書』(Les Classiques de l'Orient)の第七卷として、新にこの物語の佛譯を公にした。
表紙には單に Voyage du Marchand Arabe Solayman en Inde et en Chine r
dig
en 851 と題してあるが、その内容は Renaudot や Reinaud のそれと同樣で、前篇は Solayman 後篇は Ab
Zayd の記録を收めてある。
『印度支那物語』はしかく早くしかく廣く、學界に紹介されたに拘らず、その内容は未だ十分に研究されて居らぬと思ふ。 尠くともこの物語中に紹介されてある、支那人の風俗、習慣等に關しては、從來何等權威ある研究が發表されて居らぬ。 Renaudot や Reinaud の古き註解がこの點に就いて不十分なることは、特に言明する迄もない。
吾が輩はこの缺陷を遺憾に思ひ、最近四五年來、アラビアと支那との交通を研究すると共に、この物語中に見えて居る支那人の風俗、習慣の研究にも手を着けた。 研究の方針として吾が輩は、
(1) この物語と時代を同じくする、唐時代の事蹟に關する支那人の記録に對照して、この物語の記事の確實なることを證明すること。
緒言
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支那人間に於ける食人肉の風習 - 情報
青空情報
底本:「桑原隲藏全集 第二卷」岩波書店
1968(昭和43)年3月13日発行
初出:「東洋学報 第十四卷第一號」
1924(大正13)年7月
※底本は、「六ヶ敷い」の「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本で使われている「〔〕」はアクセント分解を示す括弧と重複しますので「{}」に改めました。
※底本通りの組み体裁を記述しがたいため、「三」「四」の表は形を変えました。
※「四」の表に一部、皇帝名を補いました。
入力:はまなかひとし
校正:染川隆俊
2006年7月29日作成
2011年3月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:支那人間に於ける食人肉の風習