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小春

著者:国木田独歩

こはる - くにきだ どっぽ

文字数:9,737 底本発行年:1901
著者リスト:
著者国木田 独歩
底本: 武蔵野
親本: 武蔵野
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※(始め二重括弧、1-2-54)※(終わり二重括弧、1-2-55)

十一月某日それのひ、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた。 その書はウォーズウォルス詩集である、この詩集一冊は自分に取りて容易ならぬ関係があるので。 これを手に入れたはすでに八年前のこと、忘れもせぬ九月二十一日のであった。 ああ八年の歳月! おもえば夢のようである。

ことにこの一、二年はこの詩集すら、わずかに二、三十巻しかないわが蔵書中にあってもはなはだしく冷遇せられ、架上最もちり深き一隅いちぐう放擲ほうてきせられていた。 いな、一月に一度ぐらいは引き出されて瞥見べっけんされた事もあったろう、しかし要するに瞥見たるに過ぎない、かつて自分の眼光を射て心霊の底深く徹した一句一節はむなしく赤いすじ青い棒で標点しるしづけられてあるばかりもはや自分を動かす力は消え果てていた。 今さらその理由を事々ことごとしく自問し自答するにも当たるまい、こんな事は初めからわかっているはずである、『マイケル』を読んでリウクの命運のために三行の涙をそそいだ自分はいつしかまたリウクを誘うた浮世の力に誘われたのだ。

そして今も今、いと誇り顔に「われは老熟せり」と自ら許している。 アア老熟! 別に不思議はない、

“Man descends into the Vale of years.”

『人は歳月の谷間へと下る』

という一句が『エキスカルション』第九編中にあって自分はこれに太く青いすじを引いてるではないか。 どうせこれが人の運命おさだまりだろう、その証拠には自分の友人の中でも随分自分と同じく、自然を愛し、自然を友として高き感情の中に住んでいた者もあったが、今では立派な実際家になって、他人ひとのうわさをすれば必ず『彼奴きゃつ常識コンモンセンスが乏しい』とか、『あれは事務家だえらいところがある』など評し、以前もとの話が出ると赤い顔をして、『あの時はお互いにまだ若かった』と頭をかくではないか。

自分がウォーズウォルスを見捨てたのではない、ウォーズウォルスが自分を見捨てたのだ。 たまさか引き出して見たところで何がわかろう。 ウォーズウォルスもこういう事務家や老熟先生にわかるようには歌わなかったに違いない。

ところで自分免許のこの老熟先生も実はさすがにまるきり老熟し得ないと見えて、実際界の事がうまく行かず、このごろは家にばかり引きこもっていて多く世間と交わらない。 その結果でもあろうかウォーズウォルス詩集までが一週間に一、二度ぐらいは机の上に置かれるようになった。

さて十一月某日それのひ、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた、とあらためて書き出す。

※(始め二重括弧、1-2-54)※(終わり二重括弧、1-2-55)

昨日きのう今日きょうも秋の日はよく晴れて、げに小春こはるの天気、仕事するにも、散策を試みるにも、また書を読むにも申し分ない気候である。 ウォーズウォルスのいわゆる

『一年の熱去り、気は水のごとくに澄み、天は鏡のごとくにみがかれ、光と陰といよいよ明らかにして、いよいよ映照せらるる時』

である、気が晴ればれする、うちにもどこか引きまるところがあって心が浮わつかない。 断行するにも沈思するにも精いっぱいできる。 感情も意志も知力もその能を尽くすべき時である。 冬はいじけ春はだらけ夏はやせる人でも、この季節ばかりは健康と精力とを自覚するだろう。 それで季節が季節だけに自分のウォーズウォルス詩集に対する心持ちがやや変わって来た、少しはしんみりと詩の旨を味わうことができるようである。 自分は南向きの窓の下で玻璃ガラス越しの日光をけながら、ソンネットの二、三編も読んだか。 そして“Line Composed a few miles above Tintern Abbey”の雄編に移った。 この詩の意味は大略左のごとくである。

五年は経過せり しかしてわれ今再びこの河畔かはんに立ってその泉流のむせぶをき、その危厳のそびゆるを仰ぎ、その蒼天そうてんの地にれて静かなるをるなり。 日は来たりぬ、われ再びこの暗くしげれる無花果いちじく樹陰こかげに座して、かの田園を望み、かの果樹園を望むの日は再び来たりぬ。

われ今再びかの列樹なみきを見るなり。 われ今再びかの牧場を見るなり。 緑草直ちに門戸に接するを見、樹林の間よりは青煙しずかに巻きて空にのぼるを見る、樵夫しょうふの住む所、はた隠者の独座して炉に対するところか。

これらの美なる風光はわれにとりて、過去五年の間、かの盲者における景色のごときものにてはあらざりき。 一室に孤座する時都府の熱閙場裡ねっとうじょうりにあるの日われこの風光に負うところありたり心屈し体むの時に当たりてわが血わが心はこれらをおもうごとにいかに甘き美感をけて躍りたるぞさらに負うところの大なる者はわれこの不可思議なる天地の秘義に悩まさるるに当たりこれらの風光を憶おもうことによりてその圧力をささえ得たることなり

※(始め二重括弧、1-2-54)※(終わり二重括弧、1-2-55)

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小春 - 情報

小春

こはる

文字数 9,737文字

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底本 武蔵野

親本 武蔵野

青空情報


底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「中学世界」
   1900(明治33)年12月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2012年8月7日作成
2012年9月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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