ジーキル博士とハイド氏の怪事件
著者:スティーヴンスン Stevenson Robert Louis
ジーキルはかせとハイドしのかいじけん
文字数:73,447 底本発行年:1950
キャサリン・ディ・マットスに
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神が結んだ
わたしたちはやはりあのヒースと風の子でありたい。
ふるさと遠く離れていても、おお、あれもまたあなたとわたしのためだ。
エニシダが、かの
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戸口の話
弁護士のアッタスン氏は、いかつい顔をした男で、微笑なぞ決して浮かべたことがなかった。 話をする時は冷ややかで、口数も少なく、話下手だった。 感情はあまり外に出さなかった。 やせていて、背が高く、そっけなくて、陰気だが、それでいて何となく人好きのするところがあった。 気らくな会合などでは、とくに口に合った酒が出たりすると、何かしらとても優しいものが彼の眼から輝いた。 実際、それは彼の話の中には決して出て来ないものであった。 が、食後の顔の無言のシンボルであるその眼にあらわれ、また、ふだんの行いの中には、もっとたびたび、もっとはっきり、あらわれたのであった。 彼は自分に対しては厳格で、自分ひとりの時にはジン酒を飲んで、葡萄酒をがまんした。 芝居好きなのに、二十年ものあいだ劇場の入口をくぐったこともなかった。 しかし他人にはえらく寛大で、人が元気にまかせて遊びまわるのを、さも羨ましげに、驚嘆することもあった。 そして、彼らがどんな窮境に陥っている場合でも、とがめるよりは助けることを好んだ。 「わたしはカインの主義*が好きだよ、」と、彼はよくこんな妙な言い方をするのだった。 「兄弟が自分勝手に落ちぶれてゆくのを見ているだけさ。」 こんな工合だから、堕落してゆく人たちには最後まで立派な知人となり、最後までよい感化を与える者となるような立場にたつことは、よくあった。 そして、そういう人々に対しても、彼らが彼の事務所へ出入りしている限り、ちっともその態度を変えなかった。
もちろん、こういう芸当はアッタスン氏にとっては何でもないことであった。
というのは、なにしろ感情をあらわさない男だったし、その友人関係でさえも同じような人のよい寛大さに基づいているらしかったので。
ただ偶然にできた出来合いの友人だけで満足しているのは内気な人間の特徴であるが、この弁護士の場合もそうであった。
彼の友人といえば、血縁の者か、でなければずうっと永い間の知り合いであった。
彼の愛情は、
そんな散歩をしていたある時のこと、二人がなにげなくロンドンのにぎやかな区域の横町を通りかかったことがあった。 その横町はせまくて、まあ閑静な方だったが、それでも日曜以外の日には商売が繁盛していた。 そこに住んでいる商人たちはみんな景気がよさそうであった。 そして、みんなは競ってその上にも景気をよくしようと思い、儲けのあまりを惜しげもなく使って店を飾り立てた。 だから、店々は、まるでにこやかな女売子の行列のように、客を招くような様子で道の両側にたち並んでいた。 日曜日には、いつもの華やかな美しさも蔽われ、人通りも少なかったが、それでもその横町は、くすんだその付近とくらべると、森の中の火事のように照り映えていた。 それに鎧戸は塗り換えたばかりだし、真鍮の標札は十分に磨き立ててあるし、街全体の調子がさっぱりしていて派手なので、すぐに通行人の眼をひき、喜ばせた。
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ジーキル博士とハイド氏の怪事件 - 情報
青空情報
底本:「ジーキル博士とハイド氏」新潮文庫、新潮社
1950(昭和25)年11月25日発行
1962(昭和37)年8月10日24刷
※「捜」と「搜」の混在は、底本通りです。
入力:kompass
校正:松永正敏
2007年2月16日作成
2011年4月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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