富嶽百景
著者:太宰治
ふがくひゃっけい - だざい おさむ
文字数:14,966 底本発行年:1975
        
富士の頂角、
十国峠から見た富士だけは、高かつた。
あれは、よかつた。
はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。
私が、あらかじめ
東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。
冬には、はつきり、よく見える。
小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。
なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。
しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。
三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。
その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。
一睡もせず、酒のんだ。
あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。
小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。
窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が
昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
甲州。
ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに
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富嶽百景 - 情報
青空情報
底本:「筑摩現代文学大系 59 太宰治集」筑摩書房
1975(昭和50)年9月20日初版第1刷発行
初出:「文体」
1939(昭和14)年2、3月号
入力:網迫
校正:割子田数哉
1999年1月9日公開
2020年12月27日修正
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