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藪の中

著者:芥川龍之介

やぶのなか - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:8,353 底本発行年:1971
著者リスト:
著者芥川 竜之介
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検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語

さようでございます。 あの死骸しがいを見つけたのは、わたしに違いございません。 わたしは今朝けさいつもの通り、裏山の杉をりに参りました。 すると山陰やまかげやぶの中に、あの死骸があったのでございます。 あった処でございますか? それは山科やましなの駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。 竹の中にせ杉のまじった、人気ひとけのない所でございます。

死骸ははなだ水干すいかんに、都風みやこふうのさび烏帽子をかぶったまま、仰向あおむけに倒れて居りました。 何しろ一刀ひとかたなとは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳すほうみたようでございます。 いえ、血はもう流れては居りません。 傷口もかわいて居ったようでございます。 おまけにそこには、馬蠅うまばえが一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。

太刀たちか何かは見えなかったか? いえ、何もございません。 ただその側の杉の根がたに、なわが一筋落ちて居りました。 それから、――そうそう、縄のほかにもくしが一つございました。 死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。 が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。 何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。 何しろ馬のかよう路とは、藪一つ隔たって居りますから。

検非違使に問われたる旅法師たびほうしの物語

あの死骸の男には、確かに昨日きのうって居ります。 昨日の、――さあ、午頃ひるごろでございましょう。 場所は関山せきやまから山科やましなへ、参ろうと云う途中でございます。 あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。 女は牟子むしを垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。 見えたのはただ萩重はぎがさねらしい、きぬの色ばかりでございます。 馬は月毛つきげの、――確か法師髪ほうしがみの馬のようでございました。 たけでございますか? 丈は四寸よきもございましたか? ――何しろ沙門しゃもんの事でございますから、その辺ははっきり存じません。 男は、――いえ、太刀たちも帯びてれば、弓矢もたずさえて居りました。 殊に黒いえびらへ、二十あまり征矢そやをさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。

あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、まことに人間の命なぞは、如露亦如電にょろやくにょでんに違いございません。 やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

検非違使に問われたる放免ほうめんの物語

わたしがからめ取った男でございますか? これは確かに多襄丸たじょうまると云う、名高い盗人ぬすびとでございます。 もっともわたしがからめ取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口あわだぐち石橋いしばしの上に、うんうんうなって居りました。 時刻でございますか? 時刻は昨夜さくや初更しょこう頃でございます。 いつぞやわたしがとらえ損じた時にも、やはりこのこん水干すいかんに、打出うちだしの太刀たちいて居りました。 ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえたずさえて居ります。 さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。 かわを巻いた弓、黒塗りのえびらたかの羽の征矢そやが十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。

検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語

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藪の中 - 情報

藪の中

やぶのなか

文字数 8,353文字

著者リスト:

底本 芥川龍之介全集4

親本 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集

青空情報


底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
初出:「新潮」
   1922(大正11)年1月
入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月10日公開
2011年5月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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