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田舎教師

著者:田山花袋

いなかきょうし - たやま かたい

文字数:150,115 底本発行年:1966
著者リスト:
著者田山 花袋
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四里の道は長かった。 その間に青縞あおじまいちのたつ羽生はにゅうの町があった。 田圃たんぼにはげんげが咲き、豪家ごうかの垣からは八重桜が散りこぼれた。 赤い蹴出けだしを出した田舎いなかねえさんがおりおり通った。

羽生からは車に乗った。 母親が徹夜てつやして縫ってくれた木綿もめん三紋みつもんの羽織に新調のメリンスの兵児帯へこおび、車夫は色のあせた毛布けっとうはかまの上にかけて、梶棒かじぼうを上げた。 なんとなく胸がおどった。

清三せいぞうの前には、新しい生活がひろげられていた。 どんな生活でも新しい生活には意味があり希望があるように思われる。 五年間の中学校生活、行田ぎょうだから熊谷くまがやまで三里のみちを朝早く小倉こくら服着て通ったことももう過去になった。 卒業式、卒業の祝宴、初めて席にはべ芸妓げいしゃなるものの嬌態きょうたいにも接すれば、平生へいぜいむずかしい顔をしている教員が銅鑼声どらごえり上げて調子はずれのうたをうたったのをも聞いた。 一月ひとつき二月ふたつきとたつうちに、学校の窓からのぞいた人生と実際の人生とはどことなく違っているような気がだんだんしてきた。 第一に、父母ふぼからしてすでにそうである。 それにまわりの人々の自分に対する言葉のうちにもそれが見える。 つねに往来おうらいしている友人の群れの空気もそれぞれに変わった。

ふと思い出した。

十日ほど前、親友の加藤郁治かとういくじと熊谷から歩いて帰ってくる途中で、文学のことやら将来のことやら恋のことやらを話した。 二人は一少女に対するある友人の関係についてまず語った。

「そうしてみると、先生なかなかご執心しゅうしんなんだねえ」

「ご執心以上さ!」と郁治は笑った。

「この間まではそんな様子が少しもなかったから、なんでもないと思っていたのさ、現にこの間も、『おおいに悟った』ッて言うから、ラヴのために一身上の希望を捨ててはつまらないと思って、それであきらめたのかと思ったら、正反対せいはんたいだッたんだね」

「そうさ」

「不思議だねえ」

「この間、手紙をよこして、『余も卿等けいらの余のラヴのために力を貸せしを謝す。 余は初めて恋の物うきを知れり。 しかして今はこのラヴの進み進まんを願へり、Physical なしに……』なんて言ってきたよ」

この Physical なしにという言葉は、清三に一種の刺戟しげきを与えた。 郁治もだまって歩いた。

郁治は突然、

「僕には君、大秘密だいひみつがあるんだがね」

その調子が軽かったので、

「僕にもあるさ!」

と清三が笑って合わせた。

調子抜けがして、二人はまた黙って歩いた。

しばらくして、

「君はあの『尾花おばな』を知ってるね」

郁治はこうたずねた。

「知ってるさ」

「君は先生にラヴができるかね」

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田舎教師 - 情報

田舎教師

いなかきょうし

文字数 150,115文字

著者リスト:
著者田山 花袋

底本 田舎教師 他一編

青空情報


底本:「田舎教師 他一編」旺文社文庫、旺文社
   1966(昭和41)年8月10日初版発行
   1985(昭和60)年重版発行
初出:「田舎教師」佐久良書房
   1909(明治42)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「苧殻(おがら)」と「績殻(おがら)」、「蠶豆」と「蚕豆」の混在は底本どおりです。
※「毛布」に対するルビの「けっとう」と「けっと」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
※本文中の編者による語注は省略しました。
※本文中の挿画は省略しました。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2007年2月2日作成
2020年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:田舎教師

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