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古事記物語

著者:鈴木三重吉

こじきものがたり - すずき みえきち

文字数:95,805 底本発行年:1955
著者リスト:
著者鈴木 三重吉
編者太 安万侶
底本: 古事記物語
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女神めがみ

世界ができたそもそものはじめ。 まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神あめのみなかぬしのかみとおっしゃる神さまが、天の上の高天原たかまのはらというところへお生まれになりました。 そのつぎには高皇産霊神たかみむすびのかみ神産霊神かみむすびのかみのお二方ふたかたがお生まれになりました。

そのときには、天も地もまだしっかりかたまりきらないで、両方とも、ただ油をかしたように、とろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。 その中へ、ちょうどあしのがはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました。

それからまたお二人、そのつぎには男神おがみ女神めがみとお二人ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生まれになった後に、伊弉諾神いざなぎのかみ伊弉冉神いざなみのかみとおっしゃる男神女神がお生まれになりました。

天御中主神あめのみなかぬしのかみはこのお二方の神さまをおしになって、

「あの、ふわふわしている地を固めて、日本の国を作りあげよ」

とおっしゃって、りっぱなほこを一ふりおさずけになりました。

それでお二人は、さっそく、あめ浮橋うきはしという、雲の中に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいたほこでもって、下のとろとろしているところをかきまわして、さっとお引きあげになりますと、その矛の刃先はさきについた潮水しおみずが、ぽたぽたと下へおちて、それがかたまって一つの小さな島になりました。

お二人はその島へおりていらしって、そこへ御殿ごてんをたててお住まいになりました。 そして、まずいちばんさきに淡路島あわじしまをおこしらえになり、それから伊予いよ讃岐さぬき阿波あわ土佐とさとつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐おきの島、それから、そのじぶん筑紫つくしといった今の九州と、壱岐いき対島つしま佐渡さどの三つの島をお作りになりました。 そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島おおやまととよあきつしまというお名まえをおつけになりました。

これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島ができました。 ですからいちばんはじめには、日本のことを、大八島国おおやしまぐにび、またの名を豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくにともとなえていました。

こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人は、こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。 それといっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。 ところがおいたわしいことには、伊弉冉神いざなみのかみは、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。

伊弉諾神いざなぎのかみは、

「ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、大事なおまえをなくするとは」とおっしゃって、それはそれはたいそうおなげきになりました。 そして、おなみだのうちに、やっと、女神のおなきがらを、出雲いずもの国と伯耆ほうきの国とのさかいにある比婆ひばの山におほうむりになりました。

女神は、そこから、黄泉よみの国という、死んだ人の行くまっくらな国へたっておしまいになりました。

伊弉諾神いざなぎのかみは、そのあとで、さっそく十拳とつかつるぎという長い剣を引きぬいて、女神のわざわいのもとになった火の神を、一うちにり殺してしまいになりました。

しかし、神のおくやしみは、そんなことではおえになるはずもありませんでした。 神は、どうかしてもう一度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのあとを追って、まっくらな黄泉よみの国までお出かけになりました。

女神めがみはむろん、もうとっくに、黄泉よみの神の御殿ごてんに着いていらっしゃいました。

すると、そこへ、夫の神が、はるばるたずねておいでになったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりました。

伊弉諾神いざなぎのかみは、まっくらな中から、女神をおびかけになって、

「いとしきわが妻の女神よ。 おまえといっしょに作る国が、まだできあがらないでいる。 どうぞもう一度帰ってくれ」とおっしゃいました。 すると女神は、残念そうに、

「それならば、もっと早く迎えにいらしってくださいませばよいものを。 私はもはや、この国のけがれた火でいたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることはできますまい。 しかし、せっかくおいでくださいましたのですから、ともかくいちおう黄泉よみの神たちに相談をしてみましょう。 どうぞその間は、どんなことがありましても、けっして私の姿すがたをごらんにならないでくださいましな。 後生ごしょうでございますから」と、女神はかたくそう申しあげておいて、御殿ごてんおくへおはいりになりました。

女神めがみ

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古事記物語 - 情報

古事記物語

こじきものがたり

文字数 95,805文字

著者リスト:
編者太 安万侶

底本 古事記物語

青空情報


底本:「古事記物語」角川文庫、角川書店
   1955(昭和30)年1月20日初版発行
   1968(昭和43)年8月10日31版発行
   1980(昭和55)年9月30日改版19刷
初出:女神の死「赤い鳥」赤い鳥社
   1919(大正8)年7月
   天の岩屋「赤い鳥」赤い鳥社
   1919(大正8)年8月
   八俣の大蛇「赤い鳥」赤い鳥社
   1919(大正8)年9月
   むかでの室、へびの室「赤い鳥」赤い鳥社
   1919(大正8)年10月
   きじのお使い「赤い鳥」赤い鳥社
   1919(大正8)年11月
   笠沙のお宮「赤い鳥」赤い鳥社
   1919(大正8)年12月
   満潮の玉、干潮の玉「古事記物語上卷」赤い鳥社
   1920(大正9)年12月
   八咫烏「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年1月
   赤い盾、黒い盾「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年2月
   おしの皇子「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年3月
   白い鳥「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年4月
   朝鮮征伐「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年5月
   赤い玉「古事記物語下卷」赤い鳥社
   1920(大正9)年12月
   宇治の渡し「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年6月
   難波のお宮「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年7月
   大鈴小鈴「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年8月
   しかの群、ししの群「赤い鳥」赤い鳥社
   1920(大正9)年9月
   とんぼのお歌「古事記物語下卷」赤い鳥社
   1920(大正9)年12月
   うし飼、うま飼「古事記物語下卷」赤い鳥社
   1920(大正9)年12月
※「八俣の大蛇」の初出時の表題は「赤い猪 」です。
※「八咫烏」の初出時の表題は「毒の大熊」です。
※「朝鮮征伐」の初出時の表題は「神功皇后」です。
※「白日子王」に対するルビの「しろひこのみこ」と「しらひこのみこ」の混在は、底本通りです。
入力:jupiter
校正:鈴木厚司
2001年11月19日公開
2014年8月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:古事記物語

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