最終戦争論
著者:石原莞爾
さいしゅうせんそうろん - いしわら かんじ
文字数:53,840 底本発行年:1986
第一部 最終戦争論
昭和十五年五月二十九日京都義方会に於ける講演速記で同年八月若干追補した。
第一章 戦争史の大観
第一節 決戦戦争と持久戦争
戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。 今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。 どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。 つまりアメリカは、かれらの対日政策を遂行するために、海軍力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ戦争ではありません。
戦争の特徴は、わかり切ったことでありますが、武力戦にあるのです。 しかしその武力の価値が、それ以外の戦争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、戦争に二つの傾向が起きて来るのであります。 武力の価値が他の手段にくらべて高いほど戦争は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。 言い換えれば陽性の戦争――これを私は決戦戦争と命名しております。 ところが色々の事情によって、武力の価値がそれ以外の手段、即ち政治的手段に対して絶対的でなくなる――比較的価値が低くなるに従って戦争は細く長く、女性的に、即ち陰性の戦争になるのであります。 これを持久戦争と言います。
戦争本来の
戦争のこととなりますと、あの喧嘩好きの西洋の方が本場らしいのでございます。 殊に西洋では似た力を持つ強国が多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、決戦・持久両戦争の時代的変遷がよく現われております。 日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。 戦争やらスポーツやら分からぬ。 それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場の西洋の歴史で考えて見ようと思います(六四頁の付表第一参照)。
第二節 古代および中世
古代――ギリシャ、ローマの時代は国民皆兵であります。
これは必ずしも西洋だけではありません。
日本でも支那でも、原始時代は社会事情が大体に於て人間の理想的形態を取っていることが多いらしいのでありまして、戦争も同じことであります。
ギリシャ、ローマ時代の戦術は極めて整然たる戦術であったのであります。
多くの兵が密集して方陣を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。
今日でもギリシャ、ローマ時代の戦術は依然として軍事学に於ける研究の対象たり得るのであります。
国民皆兵であり整然たる戦術によって、この時代の戦争は決戦的色彩を帯びておりました。
アレキサンダーの戦争、シイザーの戦争などは割合に政治の
ところがローマ帝国の全盛時代になりますと、国民皆兵の制度が次第に破れて来て
前にかえりますが、こうして兵制が乱れ政治力が弛緩して参りますと、折角ローマが統一した天下をヤソの坊さんに実質的に征服されたのであります。