美味い豆腐の話
著者:北大路魯山人
うまいとうふのはなし - きたおおじ ろさんじん
文字数:1,838 底本発行年:1993
美味い湯豆腐を食べようとするには、なんといっても豆腐のいいのを選ぶことが一番大切である。
いかに薬味、醤油を吟味してかかっても、豆腐が
そんなら、美味い豆腐はどこで求めたらいいか? ズバリ、京都である。
京都は古来水明で名高いところだけに、良水が豊富なため、いい豆腐ができる。 また、京都人は精進料理など、金のかからぬ美食を求めることにおいて第一流である。 そういうせいで、京都の豆腐は美味い。
一方、東京では、昔、笹乃雪などという名物の豆腐があった。
これもよい井戸水のために、いい豆腐ができたのだが、今は場所も変わって、わずかに盛時の面影を
東京は水の悪いことが原因してか、古来、豆腐の優れた製法が研究されていない。 そんなわけで、昔も今も東京で美味い豆腐を食べることはまず不可能だ。 それに、よい豆腐を美味く食うための第一条件であるいい昆布が、東京では素人の手に入りにくいから、なおさらむずかしい。
それなら、京都の豆腐は今なおどこでも美味いかというと、どっこい、そうはいかない。 今日では水明の都でも、水道の水と変わり、豆をすることは電動化して、製品はすべて機械的になってしまったのみならず、経済的に粗悪な豆(満州大豆)を使うようになったりなどして、京都だからとて、美味い豆腐は食べられなくなってしまった。
ところが、わずかに一軒、京都の花街、縄手四条上ルところに、昔ながらの方法を遵奉して、よい豆腐をつくっている家があった。
その家の豆腐のつくり方は秘法になっていて、うかがわんとしても、うかがえないことになっていた。
ところが、私は運よくその家の主人の了解を得て、家伝の秘法を授けられることになった。
おかげで、本家本元の豆腐に優るとも劣らぬ豆腐ができるようになった。
それも
いかに京都で秘法を授かって来ても、良水を欠いたら、いい豆腐はできなかったであろう。 残念ながら、縄手のこの店も、今はなくなってしまった。
良水に恵まれ、原料としての大豆を選択して、製法は飽くまでも機械にたよらず、人力で努力することによって、私もすばらしい豆腐をつくれるようになった。
豆腐そのものがよいから、生の豆腐にいきなり生じょうゆをかけて食べても、実に美味い。
あえて煮るまでもない。
焼き豆腐はいうに及ばず、揚げ豆腐に
湯豆腐をつくるには、次のような用意がいる。
一、土鍋 土鍋があれば一番よいが、なければ銀鍋、鉄鍋の
一、杉箸 湯豆腐を食べる箸は、塗箸や
一、だし昆布 水の豊かに入った鍋の底に一、二枚敷いて、その上に豆腐を入れて煮る。 昆布の長さ五、六寸。 昆布は鍋に入れた場合、煮立ってくると湯玉で豆腐ののった昆布が持ち上げられる恐れがあるので、切れ目を入れておくようにする。
一、薬味 ねぎのみじん切り、ふきのとう、うど、ひねしょうがのおろしたもの、七味とうがらし、みょうがの花、ゆずの皮、