亡国に至るを知らざれば之即ち亡国の儀に付質問
著者:田中正造
ぼうこくにいたるをしらざればこれすなわちぼうこくのぎにつきしつもん - たなか しょうぞう
文字数:4,792 底本発行年:1928
亡國に至るを知らざれば之れ即ち亡國の儀に付質問
(明治三十三年二月十七日、衆議院提出)
民を殺すは國家を殺すなり。
法を蔑にするは國家を蔑にするなり。
皆自ら國を毀つなり。
財用を濫り民を殺し法を亂して而して亡びざる國なし。 之を奈何。
右質問に及候也。
演説
(明治三十三年二月十七日、衆議院に於て)
今日の質問は、亡國に至つて居る、我日本が亡國に至つて居る、政府があると思ふと違ふのである、國があると思ふと違ふのである、國家があると思ふと違ふのである、是が政府にわからなければ則ち亡國に至つた。 之を知らずに居る人、己の愚を知れば則ち愚にあらず、己の愚なることを知らなければ是が眞の愚である。 民を殺すは國家を殺すなり、法を蔑にするは國家を蔑にするなり、人が自ら國を殺すのである。 財用を紊つて、民を殺して、法を亂して亡びないと云ふものは、私未だ曾て聞かないのでございます。
自分で知つて居つて爲されるのでは無かろうと思ふ。 知つて居つてすれば、是は惡人と云ふ暴虐無道である。 其本人其の人間が暴虐無道である。 政府と云ふものは集まつた集合體の上で知らず/\惡るい事に陷つて行く。 是は政府が惡るい。 此政府と云ふ集合體の上で惡るいのである乎。 之を知つて居るのである乎。 本人が承知して居るのである乎。 承知して居て直ほすことが出來ないのである乎。 是が質問の要點であります。 國家が亂るからと申して、俄に亂るものでは無い、段々歴史のあるものである。
精が盡きて御話の出來ない時に惡るうございますから、一つ簡單に、當局大臣に忘れないやうに話して置きたい事がございます。 大臣は那須郡の原を開墾することを知つて居る。 此の地面の惡るいのを開墾することを知つて居るならば、今ま[#「今ま」はママ]此の鑛毒地の渡良瀬川、關東一の地面の良いのが惡るくなる――此の關東一の地面を開墾すると云ふことはドンなものであつたか、頭に浮かばなければならぬと云ふことを此間話しましたが、今日は尚ほ一歩進んで御話しなければならぬ。
己の持つて居る公園とか別莊とか持地とか云ふものは、どんな惡るい地面でも、是は大切にすることを知つて居る。 大切にすることを知つて居れば、則ち慾が無いと云ふ譯では無い。 國家を粗末にすると云ふ頭で無いものは、大切にすると云ふ頭を持つて居るものである。 馬鹿ぢやない。 其頭を持つて居りながら、那須郡と云へば則ち栃木縣の中である、其から僅か數里隔つたる所の、而かも所有者のある所の田畑が、肥沃な天産に富んで居る熟田が、數年の間に惡るくなつて行く※[#「こと」の合字、249-8]が、目に入らぬと云ふはどうしたのである。 甚しきは其の被害地を歩くのである。 被害地を見ないのでは無い、其の被害地の上を通行するのである。 那須へは栃木茨城埼玉地方を廻つて行くのである。 自分の持物は那須野ヶ原のやうな、黒土の僅か一寸位しか地層のない所も開墾して、丹青を加へて拓くと云ふことを知つて居るではないか。 其れだけに善い、其れだけに力を用ゆる頭を、國家の爲に何故公けに用ひない。 ――他人のだから――他人の災難と云へばドウなつても構はぬと云ふ頭が、國務大臣と云ふ者にあつて堪まるもので無いのである。
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
亡国に至るを知らざれば之即ち亡国の儀に付質問 - 情報
青空情報
底本:「田中正造之生涯」國民圖書
1928(昭和3)年8月20日発行
※この質問に対して政府は以下のように答えただけであった。「政府の答辯書/(明治三十二年二月廿一日、衆議院提出)/質問の旨趣其要領を得ず、依て答辯せず。/右及答辯候也。/明治三十三年二月廿一日/内閣總理大臣 侯爵 山縣有朋」(底本より引用。「/」は改行箇所を表すために、引用者が付与。)
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※疑問点の確認にあたっては、「田中正造全集 第八巻」岩波書店、1977(昭和52)年9月5日発行を参照しました。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2003年5月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。