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フランダースの犬

原題:A Dog of Flanders

著者:マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー Marie Louise de la Ramee

フランダースのいぬ

文字数:33,174 底本発行年:1929
著者リスト:
底本: 小学生全集26
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序章-章なし

ネルロとパトラッシュ――この二人はさびしい身の上同志でした。

ふたりともこの世に頼るものなく取り残されたひとりぼっち同志ですから、その仲のいいことは言うまでもありません。 いや、「仲がいい」くらいな言葉では言いあらわせません。 兄弟でもこれほど愛し合っている者はまずないでしょう。 ほんとにこれ以上の親しさはかんがえられないほどの間柄でした。 しかも、ふたり、と言っても人間同志ではないのです。 ネルロは、フランスとベルギーの境を流れるムーズ河の畔の田舎町アンデルスに生れた少年。 パトラッシュは、フランダース産の大きな犬なのです。 このふたりは、年数としかずから言ったら、いわゆるおなじ年ですが、一方はまだあどけない子供ですのに、一方はすでに老犬の部類に入っています。 ふたりが友達になったそもそものはじまりは、お互いに同情し合ったのがもとで、日をるにしたがって、その気持はますます深まり、今ではもう切っても切れない親しさにむすびついてしまいました。

村はずれの小さな小舎こや、それがふたりの家でした。

この村というのは、ベルギーの首府アントワープから一里半ばかり離れたフランダースの一村落で、まわりには麦畑や牧場が広々とつらなっていて、その平野を貫ぬく大きな運河の岸には、ポプラや赤揚樹はんのきの長い並木が、そよそよ吹く微風そよかぜにさえ枝をゆすぶっていました。 村には家屋敷がおよそ二十ばかり、その鎧戸は、みんな明るい緑色か、青空そのままの色に塗られ、屋根は、多くはあか薔薇バラ色、または黒と白のまだらに塗られていました。 壁は雪のように真白で、太陽[#「太陽」は底本では「大陽」]に輝いている時は目がいたくなるほどでした。 村の中央には、こけむした土手の上に風車がそびえ立っています。 この風車はこの辺一帯の低地の目標ともなっているものでした。 ずっとずっと昔、この風車ははねも何もかもすっかり真紅まっかに塗られたこともありました。 が今はもうその燃えるような赤い色も風雨にさらされて汚なく色あせてしまい、まわり具合も、よぼよぼのおじいさんのように、止ったり、動いたり、という有様になってしまいました。 とは言えまだこの辺の人達の麦搗むぎつきの役は充分足しています。 この風車と向き合って古ぼけた小さな教会堂が建っています。 その細長い塔の上の鐘は、朝に夕に、静かな、かなしげな音をひびかせるのでした。 東北の方広々とした平野の彼方にはアントワープの旧教寺院の尖った塔が、そびえ立っているのが望まれました。 平野にははてしもなくあおやかな穀物の畑がひろがって、まるで一面海のようでした。

さて、その村はずれの小屋の主人というのは、大へん年とった、そして大へん貧乏で、ジェハン・ダアズというおじいさんでした。 このおじいさんも、ずっと以前は軍人で、あのナポレオンの大軍がこのベルギーに攻め入って来た時には、戦いに出た経歴も持っています。 しかもこのおじいさんが、その戦場から持ちかえった[#「持ちかえった」は底本では「持ちかえた」]ものとしては何一つなく、ただ、大きな傷を受けて、一生ちんばをひきずらねばならないことだけでした。

ジェハンじいさんが八十才になった時、じいさんの娘が、アンデルスというところで死に、二才になったばかりの男の子をおじいさんの手に残しました。 自分一人の暮しさえやっとであるこの貧乏なおじいさんは、それでも愚痴一つこぼさず、この厄介者を引き受けました。 そしてこの厄介者はじき、おじいさんにとって、可愛い、尊い、なくてはならない大切なものになってしまったのでした。 その忘れがたみのネルロ――実の名はニコラスというのだが、それを可愛らしく呼んでネルロとしたのです――は、この上ないおじいさんの慰め手となって、この小さな小屋はほんとうに平和でした。 小屋は粗末な掘[#「掘」は底本では「堀」]っ立て小屋にすぎませんでしたが、おじいさんは、いつもきちんと片づけ、貝殻のように白く塗り立てて、まわりには、ささやかな豆や薬草や南瓜かぼちゃの畑をつくっていました。

このおじいさんと孫とは、おそろしく貧乏で、全くなにも口にすることのできない日が幾日もあり、たとえどんなにうまく行った日でも、これで十分というほど[#「ほど」は底本では「ぼど」]食べられることなど決してありませんでした。 ですから二人にとっては、これで腹一ぱいというだけ食べられれば、それがもう天国へ登ったほどありがたいことなのでした。 しかしこんなに貧乏でも、おじいさんは親切でやさしく、孫のネルロも、嘘を言わない、無邪気な素直な心を持っていました。

ふたりはもうほんのわずかなパンの皮とキャベツの葉っぱで満足して、その上はなんにも望みませんでした。 ただ一つ、ねがいと言っては、犬のパトラッシュが、いつまでも側にいてくれればいい、と言うことだけでした。 ほんとうにパトラッシュがいなかったら、今頃このおじいさんと孫はどうなっていたことでしょう。

パトラッシュは彼等にとって全くなくてはならないものでした。 この犬一ぴきが、彼等――老いぼれた不具者と頑是がんぜない幼児おさなご――にとっては、ただ一人の稼ぎ人、ただ一人の友達、ただ一人の相談相手、杖とも柱ともたのむ、ただ一つの頼りなのでした。

序章-章なし
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フランダースの犬 - 情報

フランダースの犬

フランダースのいぬ

文字数 33,174文字

著者リスト:

底本 小学生全集26

青空情報


底本:「小学生全集26 黒馬物語・フランダースの犬」興文社、文芸春秋社
   1929(昭和4)年5月23日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或→ある、あるい 併し→しかし 唯→ただ 出来→でき 尚→なお 筈→はず 勿論→もちろん」
※総ルビをパラルビにかえました。
入力:大久保ゆう
校正:門田裕志
2003年11月6日作成
2005年12月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:フランダースの犬

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