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キャラコさん 01 社交室

著者:久生十蘭

キャラコさん - ひさお じゅうらん

文字数:27,696 底本発行年:1970
著者リスト:
著者久生 十蘭
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序章-章なし

青い波のうねりに、初島はつしまがポッカリと浮んでいる。

英国種の芝生が、絨氈じゅうたんを敷いたようにひろがって、そのうえに、暖いざしがさんさんとふりそそいでいる。

一月だというのに桃葉珊瑚ておきばの緑が眼にしみるよう。 椿の花が口紅ルウジュのように赤い。

正月も半ばすぎなので、暮からさんにちへかけたほどの混雑はないが、それでも、この川奈かわなの国際観光ホテルには、ここを冬の社交場にする贅沢ぜいたくなひとたちが二十人ほど、ゴルフをしたり、ダンスをしたり、しごくのん気に暮らしている。

時節柄、外国人の顔はあまり見えず、三階の南側のバルコンのついた部屋に母娘おやこのフランス人がひと組だけ滞在している。

巴里パリの有名な貿易商、山田和市わいち氏の夫人と令嬢で、どちらも相当に日本語にっぽんごを話す。

夫人はジャンヌさん、娘はイヴォンヌさんといって、今年ことし十七歳になる。 朝露あさつゆをうけた白薔薇といった感じで、剛子つよこはたいへんこのお嬢さんが好きだ。

もしや、露台の揺り椅子にでも出ていはしまいかと、そのほうを見あげたが、窓には薄地のカアテンがすんなりとたれさがっているばかりで、そのひとのすがたは見えない。

めったに社交室へも顔を出さずに、いつも母娘二人だけで楽しそうに話しあっている。 なんてしとやかに暮らしているんだろうとおもって、うらやましくなる。

それにひきかえて、『社交室』の連中は、いったい、どうしたというのだろう。

ゴルフの話、競馬の話、流行の話、映画の話、……浜のいさごと話題はつきないが、なにより好きなのは他人ひとのあらさがしで、よく飽きないものだと思われるほど、男も女もひがなまいにち人の噂ばかりして暮らしている。

このホテルに泊っているひとびとの噂や品評がおもで、社交室にい合わせないひとたちが片っ端から槍玉にあげられる。 誰れかちょっと座を立ってゆくと、すぐそのひとの品評にうつり、今までひとの噂をしていたそのひとが、こんどはさんざんにやっつけられる。 まるで、このホテルのほかに世界がないように、互いにの目たかの目で他人を見張っている。

巧妙なあてこすりもあれば、洗練された皮肉もある。 ちょっと聞くと、たいへんめているようで、そのじつ、ちゃんと毒のある中傷になっているのだから油断も隙もあったものじゃない。 この連中にかかったら、どんなに隠しておきたいことでも、遠慮会釈えしゃくなくあかるみへひき出され、なん倍かに引きのばされ、拡声機にかけてホテルの隅々すみずみにまで吹聴されてしまう。

剛子がこのホテルへきてから、今日でちょうど半月になる。 こんな贅沢なホテルでぶらぶらしていられる身分でもなければ、また、たいして好きでもない。 叔母の沼間ぬま夫人がしつこくすすめるのでしょうことなしにやってきた。

だいいち、それが妙でしょうがない。 日ごろは、こんな親切な叔母ではないのである。 むしろ、意地悪だといった方が早いだろう。 それも相当渋いもので、眼にたつ意地悪をするのではない。 思いもかけぬようなところでピリッと辛いのである。 こういう複雑なやりかたもあるものかと、そのつど、剛子はあっけにとられる。

なにしろ、打算にたけた叔母のことだから、どうせ、なにか相当の理由がなくてはならぬはずだ。 なかなか、二人の娘のひきたて役ぐらいのところではなかろうとおもわれる。

考えてもわかりそうもないことだし、生れつき屈託のないたちだから、あまり深いせんさくはしないことにしている。 なにか自分の信念に反するようなことでもおしつけられたら、その時はそれに相当した態度をとればいい。 つつましくは暮らしてきたが、そういう場合にとるべき態度だけはちゃんと教えられている。

剛子は、もう一時間もこうしてひとりでサン・ルームの竜舌蘭りゅうぜつらんのそばにかけている。

ここへはだれもやってこないし、窓からは陽がさしこむし、居心地の悪いことはないのだが、どうにも退屈でやりきれなくなってきた。 なにもしないでいるというのは、なんという厄介やっかいなことだろう。

もっとも、これは今日に始まったことではない。

序章-章なし
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キャラコさん - 情報

キャラコさん 01 社交室

キャラコさん 01 しゃこうしつ

文字数 27,696文字

著者リスト:
著者久生 十蘭

底本 久生十蘭全集 Ⅶ

青空情報


底本:「久生十蘭全集 7[#「7」はローマ数字、1-13-27]」三一書房
   1970(昭和45)年5月31日第1版第1刷発行
   1978(昭和53)年1月31日第1版第3刷発行
初出:「新青年」博文館
   1939(昭和14)年1月号
※初出時には、副題はありません。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:キャラコさん

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