非暴力
著者:エム・ケー・ガンヂー
ひぼうりょく
文字数:4,151 底本発行年:1942
人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷けた人に對して腹を立てない筈だ。 彼はその人が危害を受けることを望まない。 彼はその人の幸福を願ふ。 彼はその人を罵詈しない。 彼はその人の肉體を傷けない。 彼は惡を行ふ者の加ふるすべての害惡を耐忍ぶであらう。 かくして非暴力は完全に無害である。 完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。 だから、それは人間以下の生物をも愛撫し、有害な蟲類や動物までも除外しない。 それ等の生物は、吾々の破壞的性癖を滿足させるように作られてゐるのではない。 若し吾々が造物主の心を知ることさへ出來たならば、吾々は造物主が彼等を創造した意義を發見するだらう。 故に、非暴力はその積極的形式に於ては、すべての生物に對する善意である。 それは純粹の愛である。 私が印度經の諸聖典や、バイブルや、コーランの中に讀むところのそれだ。
非暴力は完全なる状態だ。 それは全人類が自然に無意識に動いて行く目標である。 人は無辜の人間となることが出來ても、神にはなれない。 ただその場合彼は眞の人間になるだけだ。 現在の状態では、吾々は半人半獸である、然るに、吾々は無智傲慢にも、人類の目的を完全に果してゐると誇稱し、暴力に答ふるに暴力を以てし、それがために必要な憤怒の度合を増大する。 吾々は復讐が人類の法則であることを信ずるかのやうに裝うてゐるが、どの經典にも復讐が義務であるとは書いてゐない。 ただそれは許容さるべきものだとなつてゐるだけだ。 義務的なのは抑制である。 復讐は念入りに調整する必要があるところの我儘である。 抑制は人間の法則だ。 何となれば最高の完成は、最高の抑制がなくては達せられないからだ。 從つて、受難は人類の徽章である。
目標はいつでも吾々から逃げて行く。 進歩が大きければ大きいほど、吾々の無價値の認識も深くなる。 滿足は目的の達成にあるのではなく、努力の中にあるのだ。 十分なる努力は十分なる勝利だ。
故に、私はこの際特に自分が目的から遠ざかつてゐることを認めてゐるけれども、私にとつて完全な愛の法則は、生存の法則である。 私はやる度に失敗するが、その失敗によつて私の努力は一層決然たるものになるのだ。
しかし、私は國民議會やキラフアツトの組織を利用してこの最後の法則を説かうとしてゐるのではない。 私は自分の限界を知り過ぎるほど知つてゐる。 私はかかる企てが失敗の運命をもつてゐることを知つてゐる。 男女の集團全體に同時にこの法則を遵守させようとするのは、その働きを知らないからだ。 が、私は國民議會の演壇からこの法則の結論を説く。 議會やキラフアツトの組織に採用されてゐるのは、この法則が包含するところのものの一斷片に過ぎない。 眞正の運動者があれば、短時日の間に、人民の大多數に、その限られたる適用の方法を實施することが出來る。