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散歩生活

著者:中原中也

さんぽせいかつ - なかはら ちゅうや

文字数:3,148 底本発行年:1967
著者リスト:
著者中原 中也
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序章-章なし

「女房でも貰つて、はやくシヤツキリしろよ、シヤツキリ」と、従兄みたいな奴が従弟みたいな奴に、浅草のと或るカフエーで言つてゐた。 そいつらは私の卓子テーブルのぢき傍で、生ビール一杯を三十分もかけて飲んでゐた。 私は御酒を飲んでゐた。 好い気持であつた。 話相手が欲しくもある一方、ゐないこそよいのでもあつた。

其処を出ると、月がよかつた。 電車や人や店屋の上を、雲に這入つたり出たりして、涼しさうに、お月様は流れてゐた。 そよ風が吹いて来ると、私は胸一杯呼吸するのであつた。 「なるほどなア、シヤツキリしろよ、シヤツキリ――かア」

私も女房に別れてよりここに五年、また欲しくなることもあるが、しかし女房がゐれば、こんなに呑気に暮すことは六ヶ敷むづかしからうと思ふと、優柔不断になつてしまふ。

それから銀座で、また少し飲んで、ドロンとした目付をして、夜店の前を歩いて行つた。 四角い建物の上を月は、やつぱり人間の仲間のやうに流れてゐた。

初夏なんだ。 みんな着物が軽くなつたので、心まで軽くなつてゐる。 テカ/\した靴屋の店や、ヤケに澄ました洋品店や、玩具おもちや屋や、男性美や、――なんで此の世が忘らりよか。

「やア――」といつて私はお辞儀をした。 日本が好きで遥々はるばる独乙から、やつて来てペン画をいてる、フリードリッヒ・グライルといふのがやつて来たからだ。

「イカガーデス」にこ/\してゐる。 こめかみをキリモミにしてゐる。 今日は綺麗な洋服を着てゐる。 ステツキを持つてる。

「たびたびどうも、複製をお送り下すつて難有ありがたう」

地霊ルル…………アスタ・ニールズン」彼はニールズンを好きで、数枚その肖顔にがほを描いてる男である。 私の顔をジロ/\みながら、一緒に散歩したものか、どうかと考へてゐる。 彼も淋しさうである。 むやうに笑つてゐる。

「アスタ・ニールズン!」

私一人の住居のある、西荻窪に来てみると、まるで店灯がトラホームのやうに見える。 水菓子屋が鼻風邪でも引いたやうに見える。 入口の暗いカフヱーの、中から唄が聞こえてゐる。 それからもう直ぐ畑道だ、蛙が鳴いてゐる。 ゴーツと鳴つて、電車がトラホームのやうに走つてゆく。 月は高く、やつぱり流れてゐる。

暗い玄関に這入ると、夕刊がパシヤリと落ちてゐる。 それを拾ひ上げると、その下から葉書が出て来た。

その後御無沙汰。 一昨日可なりひどい胃ケイレンをやつて以来、お酒は止めです。 試験の成績が分りました。 予想通り二科目落第。

序章-章なし
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散歩生活 - 情報

散歩生活

さんぽせいかつ

文字数 3,148文字

著者リスト:
著者中原 中也

底本 日本の名随筆 別巻32 散歩

親本 中原中也全集 第三巻

青空情報


底本:「日本の名随筆 別巻32 散歩」作品社
   1993(平成5)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「中原中也全集 第三巻」角川書店
   1967(昭和42)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:散歩生活

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