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猫の事務所 ……ある小さな官衙に関する幻想……

著者:宮沢賢治

ねこのじむしょ - みやざわ けんじ

文字数:6,210 底本発行年:1980
著者リスト:
著者宮沢 賢治
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序章-章なし

軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。 ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした。

書記はみな、短い黒の繻子しゆすの服を着て、それに大へんみんなに尊敬されましたから、何かの都合で書記をやめるものがあると、そこらの若い猫は、どれもどれも、みんなそのあとへ入りたがつてばたばたしました。

けれども、この事務所の書記の数はいつもただ四人ときまつてゐましたから、その沢山の中で一番字がうまく詩の読めるものが、一人やつとえらばれるだけでした。

事務長は大きな黒猫で、少しもうろくしてはゐましたが、眼などは中に銅線が幾重も張つてあるかのやうに、じつに立派にできてゐました。

さてその部下の

一番書記は白猫でした、

二番書記は虎猫とらねこでした、

三番書記は三毛猫でした、

四番書記は竃猫かまねこでした。

竃猫といふのは、これは生れ付きではありません。 生れ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはひつてねむる癖があるために、いつでもからだがすすできたなく、殊に鼻と耳にはまつくろにすみがついて、何だかたぬきのやうな猫のことをふのです。

ですからかま猫はほかの猫には嫌はれます。

けれどもこの事務所では、何せ事務長が黒猫なもんですから、このかま猫も、あたり前ならいくら勉強ができても、とても書記なんかになれないはずのを、四十人の中からえらびだされたのです。

大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、まつ赤な羅紗らしやをかけたテーブルを控へてどつかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま猫が、めいめい小さなテーブルを前にして、きちんと椅子いすにかけてゐました。

ところで猫に、地理だの歴史だの何になるかと云ひますと、

まあこんな風です。

事務所のをこつこつたたくものがあります。

「はひれつ。」 事務長の黒猫が、ポケツトに手を入れてふんぞりかへつてどなりました。

四人の書記は下を向いていそがしさうに帳面をしらべてゐます。

ぜいたく猫がはひつて来ました。

「何の用だ。」 事務長が云ひます。

「わしは氷河鼠ひようがねずみを食ひにベーリング地方へ行きたいのだが、どこらがいちばんいいだらう。」

「うん、一番書記、氷河鼠の産地を云へ。」

一番書記は、青い表紙の大きな帳面をひらいて答へました。

「ウステラゴメナ、ノバスカイヤ、フサ河流域であります。」

事務長はぜいたく猫に云ひました。

「ウステラゴメナ、ノバ………何と云つたかな。」

「ノバスカイヤ。」 一番書記とぜいたく猫がいつしよに云ひました。

「さう、ノバスカイヤ、それから何!?」

「フサ川。」 またぜいたく猫が一番書記といつしよに云つたので、事務長は少しきまり悪さうでした。

「さうさう、フサ川。 まああそこらがいいだらうな。」

「で旅行についての注意はどんなものだらう。」

「うん、二番書記、ベーリング地方旅行の注意を述べよ。」

序章-章なし
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猫の事務所 - 情報

猫の事務所 ……ある小さな官衙に関する幻想……

ねこのじむしょ ……あるちいさなかんがにかんするげんそう……

文字数 6,210文字

著者リスト:
著者宮沢 賢治

底本 宮沢賢治全集8

親本 新修宮沢賢治全集 第十三巻

青空情報


底本:「宮沢賢治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年1月28日第1刷発行
   1996(平成8)年5月15日第14刷発行
底本の親本:「新修宮沢賢治全集 第十三巻」筑摩書房
   1980(昭和55)年3月15日初版第1刷発行
入力:細川みづ穂
校正:瀬戸さえ子
1999年3月8日公開
2008年10月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:猫の事務所

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