ある自殺者の手記
原題:SUICIDES
著者:モオパッサン
あるじさつしゃのしゅき
文字数:5,735 底本発行年:1937
新聞をひろげてみて次のような三面記事が出ていない日はほとんどあるまい。
水曜日から木曜日にかけての
某氏(五七)はかなり楽な
何不足なく幸福に日を送っているこうした人々を駆って、われと我が命を断たしめるのは、いかなる深刻な
そうした「動機もなく我とわが生命を断った」人間の一人が書き遺していった手記がその男のテーブルの上に発見され、たまたま私の手に入った。
最後の夜にその男が弾をこめたピストルを傍らに置いて書き綴った手記である。
私はこれを極めて興味あるものだと思う。
絶望の果てに決行されるこうした行為の裏面に、世間の人が
夜も更けた、もう真夜中である。
私はこの手記を書いてしまうと自殺をするのだ。
なぜだ? 私はその理由を書いてみようと思う。
だが、私はこの幾行かの手記を読む人々のために書いているのではない、ともすれば弱くなりがちな自分の勇気をかき立て、今となっては、遅かれ早かれ決行しなければならないこの行為が避け得べくもないことを、我とわが心にとくと云って聞かせるために
私は素朴な両親にそだてられた。 彼らは何ごとに依らず物ごとを信じ切っていた。 私もやはり両親のように物ごとを信じて疑わなかった。
永いあいだ私はゆめを見ていたのだ。 ゆめが破れてしまったのは、晩年になってからのことに過ぎない。
私にはこの数年来一つの現象が起きているのだ。 かつて私の目には曙のひかりのように明るい輝きを放っていた人生の出来事が、昨今の私にはすべて色褪せたものに見えるのである。 物ごとの意味が私には酷薄な現象のままのすがたで現れだした。 愛の何たるかを知ったことが、私をして、詩のような愛情をさえ厭うようにしてしまった。
吾々人間は云わばあとからあとへ生れて来る愚にもつかない幻影に魅せられて、永久にその
ところで私は年をとると、物ごとの怖ろしい惨めさ、努力などの何の役にも立たぬこと、期待の
私はこれで元は快活な人間だったのである! 何を見ても嬉しかった。
私は三十年このかた来る日も来る日も同じ時刻に
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ある自殺者の手記 - 情報
青空情報
底本:「モオパッサン短篇集 色ざんげ 他十篇」改造文庫、改造社出版
1937(昭和12)年5月20日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「凡ゆる→あらゆる 或る→ある 或は→あるいは 何時→いつ 一層→いっそう 恐らく→おそらく 却って→かえって 可なり→かなり 此の→この 然る→しかる (て)了→しま 直ぐ→すぐ 凡て→すべて 丈→だけ 慥かに→たしかに 偶々→たまたま 丁と→ちゃんと 屡々→ちょいちょい 何う→どう 程→ほど 殆ど→ほとんど 復た→また (て)見て→みて 最う→もう 若しも→もしも 矢張り→やはり」
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付しました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(山本貴之)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2006年4月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:ある自殺者の手記