入院患者
原題:The Resident Patient
著者:コナンドイル
にゅういんかんじゃ
文字数:22,653 底本発行年:1930
私の友シャーロック・ホームズ独特な人格をよく出しているお話をしようと思って、たくさんの私の記憶をさがす時、私はいつもあらゆる方面から私の目的に添うような話をさがし出そうとして苦労するのである。 なぜなら、ホームズがその心理解剖に全力を注いだと思われるような事件、あるいはまた犯罪捜査に特別な方法を見せたと思われような事件は、事実において、みなさんにお話してもつまらないだろうと思われるような簡単な普通な事件が多いのだ。 またその反対に、事件がかなり特異なもので劇的なものを彼が捜査した場合もあるのだが、そうした時にはしばしば、彼は彼の伝記作者として私が話してほしいと思っているにもかかわらず、何も話してくれなかったのである。 私が『真紅の研究』と題して集めた小事件、またグロリア・スコット号の消失事件と共にあつめてあるもの、そうしたものは、彼の研究を永遠に悩ますであろう所の彼の両面、――シルラと渦巻(訳者註――イタリーのメッシナ海峡にはシルラと称する六頭の怪物と大渦巻とありて、その海峡をすぐる船はその二つのうち、いずれかの一つに必ず捕われたりと云う)――の好見本である。 ――ところでこれからお話しようと思っている事件については、実はホームズはそれほど充分に活躍してはいないのだ。 が、しかもなお、その事件のすべてのつながりは、彼の伝記的物語から、これを除外することがどうしても出来ないほど、特異なものなのである。
それは十月の陰鬱な雨の日であった。
私達は鎧戸を半分とざして、ホームズはソファの上に
私は、ホームズがしゃべりすぎていると云うことが分かったので、無味乾燥な新聞を
「君の云う通りだよ、ワトソン」
彼は云った。
「それはこの問題を解決するのには、ちと無理な方法のようだね」
「最も不自然な方法だよ」
私は叫んだ。 が、その時、私は、彼が私の心の一番奥にあるものをちゃんと感じていると云うことに気がついたので、私は椅子の上に起き直り、思わず驚きの目を見張って彼を見詰めた。
「どうしたと云うんだいホームズ?」
私は云った。
「僕は思いもよらなかったよ、こんなことは……」
彼は私の驚愕を見て心から笑った。
「君は、僕が、もうだいぶ前に、ポーの書いた写生文の一つの中にある一節を、読んだことを覚えてるだろう。 あの中に、用意周到な推論者が、その友達の腹の中の考えを見抜いてそれに従う所が書いてあったが、この場合もそれと同じことなんだ。 ――僕に云わせれば、僕は君が怪しいと疑っているような癖がいつもあるんだよ」
「いや、そんなことはないよ」
「たぶん、これは君の言葉からじゃなくって、君の目つきから気づいたことなんだろうと思うのだけど、ワトソン君。 ――君は今新聞をほうりなげて、何か考え出したろう。 それを見た時、僕はそれに気がつくことが出来たんだ。 そして結局君の意見に同意することになったんだよ」
けれども私はまだ満足しなかった。
「今、君は、ある推理家が、彼が注意して見守っている一人の男の動作から、彼の結論を引き出したと云う例をひいていたね。
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入院患者 - 情報
青空情報
底本:「世界探偵小説全集 第三卷 シヤーロツク・ホームズの記憶」平凡社
1930(昭和5)年2月5日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「恰も→あたかも 貴方→あなた 或る→ある 如何→いか 所謂→いわゆる 於て→おいて 恐らく→おそらく 彼→か 返って→かえって か知ら→かしら 難い→がたい かも知れ→かもしれ 位→くらい、ぐらい 極く→ごく 即ち→すなわち 是非→ぜひ その癖→そのくせ 大分→だいぶ 沢山→たくさん 只今→ただいま 忽ち→たちまち 度→たび 多分→たぶん 給え→たまえ 丁度→ちょうど て見→てみ で見→でみ 疾うに→とうに 所が→ところが 所で→ところで 尚→なお 乍ら→ながら 筈→はず 程→ほど 殆ど→ほとんど 亦→また 迄→まで 勿論→もちろん 余程→よほど」
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
※底本中、混在している「ペルシー」「ペルシイ」、「ロシア」「ロシヤ」はそのままにしました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(畑中智江)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年9月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:入院患者